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後編
あれから私はコツコツ貯めていた給金で、町外れに小さな家兼店舗を買った。
趣味だったパン作りで生きていこうと思ったのだ。
ヴァレンシス家でも執事の仕事の傍らパンを焼き、坊ちゃんに食べさせて差し上げていた。
坊ちゃんはいつもそれはそれは美味しそうに、愛らしいほっぺが膨らむくらい頬張って食べていらした。あの愛らしいお姿を思い出にこれから生きていこうとパン屋をやることにしたのだ。
それにパン屋が有名になればいつか私が作ったパンを坊ちゃんが口にされる事もあるかもしれない。
そして美味しいと笑っていただけたなら……、それだけで私は幸せです。
それから間も無く、風の噂でレヴュース侯爵が亡くなられたのを知った。
坊ちゃんは今頃どうしておられるのか……。
もしかしたらもうすでに次のご結婚が決まっているかもしれない……。
自分から坊ちゃんの傍を去ったのに、胸がチリチリと痛んだ。
*****
来客を知らせるドアにつけたベルが鳴った。
『カランカランカラン』
入り口を見ると、どこにでもあるような平凡な衣服を纏い小さなリュックを背負った青年が立っていた。
その辺にあるナイフか何かで切ったのかバラバラになってしまった金髪のサラサラの髪を肩口で揺らし、うっすらと赤く色づく唇に微笑みを浮かべていた。
信じられないと思いながらもいつものように言葉を紡ぐ。
「――おかえりなさい……ませ」
それは何度もなんども繰り返してきた言葉だった。もう二度と言う事のない言葉だと思っていた。
青年もまたいつものように答えた。
「――ただいま」
壊してしまわないようにそっと抱きしめ、腕の中にある愛しい温もりだけを感じていた。
私たちを阻む物はもうなにもない、心の中でそっと呟く。
『お帰りなさい坊ちゃん、あなたの帰る場所は私だけ』
-Fin-
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