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「大人の余裕ってやつなんだろーか……」
「は?」
相手のミットからポロリと球がこぼれる。返球返球、とジェスチャーで急かしながら菊田は悩ましいため息を吐いた。気味悪がるような視線を向けられるが、知った事ではない。
「いや、やっぱ眼中にねえのかなあ」
何となく安定感を欠く送球を受け止め、惰性で返す。歪な放物線を描いたそれをまた捕りこぼした相棒は、拾った球を弄びながら「お前さあ、」と呆れ顔で言う。
「さっきから何なんだよ。独りでぶつぶつぶつぶつ。気になって集中出来ないんですけど」
「ああくそ、どうやったら意識してくれんだろ」
「聞けよ」
あんまり上の空だと監督の雷が落ちるぜと忠告されてもまるで耳に入らない。馬耳東風。菊田の頭の中は昼休みの出来事で一杯である。
『はいはい、ありがとな。慕ってくれる生徒がいるのは教師冥利に尽きるよ』
『え。あのさたかむー、ライクじゃなくてラブの方なんだけど』
『そうかそうか、大好きか。でもそこまで言われると流石に照れるから勘弁な』
『いやそうじゃなくて──』
『じゃ、お使いご苦労さん。ほれ。飴やるよ』
『……ありがとうございます』
悔しいとしか言い様のない会話を思い返し、ユニフォームのポケットに左手を突っ込む。わざわざ制服のズボンから移した個包の飴玉が指先に触れ、それを手の平に握り込んだ。御守りに願を掛けるように動作を繰り返していれば、はあ、とわざとらしいため息をこぼされる。キャッチボールの相手は駄目だこりゃと肩を竦めて明後日の方向を見た。
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