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決意する土曜日 ー浦和ー
上着とスマホと財布を持ち、素早く家から出る。
ドアの鍵をしっかりと閉めたことを確認した。
昨日から俺の思い出ポイントになったエレベーターに乗り込み、扉が閉まったところで、ついに姿勢を保てなくなった。
──ミナミが……かわいすぎる……!!
*
今朝、事は済んだとばかりに去ろうとしたミナミを少しばかり強引に引き止めてしまった。
気をやって再び俺の腕の中に戻ったミナミから聞こえてきた寝言の声が……! 喘ぎ声のように……! 掠れていて、また少しムラっとしてしまった。
いや、いくらなんでも朝から食事も取らずセックス三昧はひどすぎる。それもいいかもしれな……いやいや、俺にもその良し悪しはわかる。
ミナミとは体から始まってしまったかもしれないが、俺はミナミの体だけでは無く心も未来も全部欲しいのだ。
体から始まったのに、体ばかり求めていたら誤解されてしまう。ここは一旦、我慢だ。俺なら耐えられる。青春を水泳に捧げ、努力と忍耐の意味を知る俺ならやれる。
精神を統一し、何の夢をみているのか『こわい』と呟いたミナミにやっとの思いで『大丈夫だよ』と返事をすることが出来た。
危なかった。もし俺が軟弱な精神の持ち主だったら『怖いなら、もう一度気持ちいいことしようか?』なんて言っていたかもしれない。それでは怖いのは俺になってしまう。いや、初恋を拗らせ今日まで来た俺が怖い奴なのは自覚があるが。
怖がらせてはいけない……いけない……
己の欲に走っては、いけない……
はぁーーー、と邪念を体の外に出すように重く息を吐いた。
邪念を祓っていると途中の階で扉が開く予兆を察知し、素早く姿勢を正した。同じマンション内で不審人物扱いを受けるのは百害あって一利なし、だ。何事も無かったかのようにスマホを見ている振りをしながら、昨日のエレベーター内でのキスを思い出し、記憶の中のミナミに何度かキスをしていると手に持っていたスマホが震えたことに気付いた。
画面には休日の朝から元気な男。≪木場≫の名前が表示されていた。
同期であり、昨日のミナミとの再会を叶えてくれた心の友の名前ではあるが、スンッと浮かれていたテンションが落ちた。頭の中でエレベーターの中なのに丸い尻をこちらに向け、物欲しそうな顔をしていたミナミも消えた。
地上に降りたエレベーターからエントランスまで出たところで、止まらない木場からの電話に鈍い動作で通話のアイコンをタップした。ヤツは土曜日の朝だというのにテンションが高い。
『もう昼だぞ! 昼までナニしてたんだよ~何度も電話したのにぃ~』
「用件は」
いつになくはしゃいだテンションの木場に引きつつ、マンション下のコンビニへと入ると軽快ないつもの入店音が鳴った。目当てのものは確か左の通路にあったはずだ。
『え~なになに~。今、コンビニ? やだぁ~ゴムが無くなったから買い足すのぉ~? 浦和くんったら獣~』
銀色の小箱を掴んでいた手がピクリと止まる。
なぜわかった。
昨日、ミナミと再会した飲み屋に行く途中でコンビニに寄りエチケットとしてガムと一緒にゴムを買っていた。念のためだ。最初からそのつもりだったわけではないが、まさかの事態に備えたのだ。なんら恥じることはない。そのゴムも残り一つとなってしまったから買い足すのだ。
「──用意するだけまともだろ」
そうだ。俺は獣じゃない。獣じゃないからこそ、同意無く、使わないという選択肢は無い。まことに不本意だが、ここは、ここだけは誠意を見せるときなのだ。俺が欲しいのは心も未来も、ミナミの全てだからだ……!
改めて力を込め銀色の小箱を掴んだ。二つ。念には念を入れて。あと、飲み物とヨーグルトを籠に入れた。
一人暮らしの男の家には必要なものがほとんど無い。
ミナミに捧げる朝食になりそうな食品も無ければ、飲料も無い。
一週間ほど前に知っていたら家に籠れるように用意することができたのに! ミナミにシャワーをすすめ、その間に必要物資の調達に出た。一緒に買いに出かけてもいいけど、もう少し俺の家の中にいるミナミを見たい。あわよくばもう少し触りたい。
そうだ、朝食は隣のパン屋のサンドイッチにしよう。
『え、まじで? ミナミちゃんとまだ一緒にいるのか? 持ち帰り成功したんだな」
「まぁな……昨日は本当に呼んでくれてありがとうな」
そうだ。ちょっと鬱陶しいが木場が俺の話を覚えていなきゃミナミと再会することは叶わなかった。早く電話を切って買い物を終わらせてミナミの元に戻りたいが、木場に感謝を伝える。今度、昼飯でも奢ろう。
『いやー、でも、ミナミちゃんお前のこと覚えてなさそうだったな? それに愛想が良いっていうか、一瞬俺に気があるのかと思ったわー』
「殺すぞ」
『いや、そう思ったのは俺だけじゃないって! 男全員、俺に気があるって勘違いしたって! 最終的に選ばれたのは浦和なんだから安心しろって!』
「……選ばれた、というか……さらったというか」
『そうそうミナミちゃん彼氏欲しがってたらしいし、よかったな!』
そういえば、なぜミナミは俺と一緒に合コンから抜け出してくれたのだろうか。ミナミを捕獲することで頭がいっぱいになっていて気づかなかった。
──ミナミは彼氏になりえそうな男を探しに合コンに来たのだ。
ミナミ目当てで来た俺とは違う。
木場の言う通り、確かに他のメンバーとも楽しそうに話していた様子だった。
考えながら視線を流すとサラダコーナーのポップに≪契約農家から仕入れた新鮮野菜≫と書かれた文字が目に入った。
ミナミはサラダ派だろうか……と、ミナミとの会話を反芻していると、先週の休日の朝にやっていた家庭菜園のススメという番組を思い出した。
タレントが耕した畑に種を撒くところから丁寧に構成された番組だった。撒いた種全てが育つわけではない。だから最初は多くの種を撒く。そして育った芽の中から良い芽を残し育てるのだ。
──つまり、ミナミは合コンという畑に多くの種を撒き、育った芽の中から勢いよく芽を出した俺という芽を育てることにしたのではないだろうか。
思わず、頭の中のミナミに問いかけた。
俺以外に勢いのある芽はいるのか、と。
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