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雑居ビルの地下に向かう階段のすぐ横に、その薄暗いバーはあった。
木製の重たいドアを開けると、取り付けられた鈴がちりりんと鳴る。
さほど広くない店内には、十席ほどのカウンターと、ボックス席が四組。
バックライトに照らしだされて、ウィスキーやスピリッツのボトルの曲線がきらきらと白く輝き、艶めかしく浮かび上がる。
グラスの中で薄暗いカウンターの端に座り、銀色の背の小さな本の紙表紙を反らせてじっと読む男がいる。
カウンターの向こうのママがたずねる。
「エヌさん、前から気になっているんだけれど、なんでこんな暗いところで本を読んでいるの?」
エヌと呼ばれた男は、本から目をあげて応える。
「これな、SFだよ」
「SF? 何だっけ、それ……推理小説?」
ママが笑う。つられて男も笑い返す。
「今読んでいるこの本は、ずっと未来の話だ。故障した宇宙船で漂流してた男が……」
「あ、そういうやつ。空飛ぶ円盤とか、宇宙人とか……」
まあね、とぼそぼそつぶやき、エヌ氏は本に目を戻す。
「私、知ってるよ。空飛ぶ円盤研究会っていうのがあるでしょ。有名作家も入ってるって」
ママの左にいた若い娘の店員が、マドラーでグラスの中のロックアイスをころころかき混ぜながら口をはさんできた。
「ちょっと前の話だけど、大騒ぎになったわねえ」
ママが話題をつなぐ。
「アメリカの実業家だかが、自家用機を飛ばしていて見たって話。あと、湖に降りた円盤から現れた宇宙人に逢った農夫の話とか……」
ママがエヌ氏のグラスを取り上げてアイスを足し、後ろの棚から安物の国産ウィスキーを取り出して、琥珀色の液体を注ぎ入れる。
「あとは、自動車が異次元だかに消えてしまう話。まっすぐ続く一本道で、目の前を走っていた黒塗りのクラウンが、突然姿を消してしまうとか…」
そこまで言って、口に手をあてる。
「あらやだ。なんでこんなに知ってるんだろう」
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