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ややトーンダウンして、それでもエフ氏は話を続けた。
「これから、この国の人は世界へと出ていくでしょう。
アメリカ、イギリス、ロシア……。こうした国の、最先端の知性が紡ぐ物語に込められた、人類の文明の向かう先、未来のビジョンを知ることで、彼らとの間で想いを共有し、各国がこうして角突き合わせる状況から脱出する、この国の人がその橋渡しになることができれば、そして、科学、人類、文明、哲学、文学のすべてを等しく扱うことのできるこのジャンルが、そのときに共通言語になってくれればと、そう願うばかりです」
そこまで言い終ると、エフ氏は、椅子にぐったりとして座り込んだ。
しばらくの間、沈黙が続いた。
「よし、じゃあ、本にサインをさせてください。まじないのようなものですが」
またかばんをごそごそとまさぐって、黒いサインペンを取り出す。
「お子さんのお名前は?」
「ええと……、いや、本当に、そんなお気遣いをいただくのは……」
今度はタートルネックの男が、口を開いた。
「エフ氏は普通サインなんてしない。稀少価値が出るかもしれない」
皮肉めいた笑みを浮かべて、エヌ氏の方をじろりと見やる。
「さあ。お子さんの名前を。ふたりとも」
エフ氏は準備万端といった体で、表紙を一枚開き、キャップを外して待ち構えている。
「……ヒロシとタケシです」
勢いに気おされて、エヌ氏は子供の名前を口にした。
バーの扉の鈴が、からころと鳴る。
エヌ氏は、ゆったりとした足取りで、階段を上った。
踊り場にふと立ち止まって、かばんをぱんぱんとはたく。雑誌に単行本、それにエフ氏からもらった本で膨れ上がっている。
階段を上りきると、エヌ氏は大きく伸びをして、周囲を見渡した。
街灯と店の灯りに照らされた坂道を、ほろ酔い気分で下っていく。
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