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エヌ氏は立ち上がった。
「そうか、それなら、直接訊いてみよう」
突然の行動にママが驚く。
「なんだ、いつも本ばっかり読んでるから、人に話しかけるのが嫌いな陰気な人かと思ってたら……。あ、また余計なこと言っちゃった」
ママは口のチャックを閉じるしぐさをした。
ボックス席のテーブルの脇に立って、エフと呼ばれた男の横にすっくと立ったエヌ氏は、おもむろに尋ねた。
「あの、エフさんでしょうか?」
呼ばれても男は答えない。紙の束を一心不乱ににらみ続けている。
「あの」
少し大声になり、周囲の客も気づいて、ちらりちらりと振り向く。
「この雑誌の編集長のエフさんですね!」
男は眉根に皺を寄せ、ようやくゆっくり顔を上げた。
エヌ氏がかかげた雑誌に顔を近づけて、じっと見る。
「…この雑誌を会社と本屋以外で見るのは、はじめてだ」
抑揚のない声で、しぼりだすように口の中でつぶやき、つづいて、エヌ氏をにらみつけた。
その鋭い眼光に、エヌ氏は思わずたじろぐが、それでもなんとかして言葉を絞り出した。
「読者、読者です…この雑誌の」
と、いきなり男の口元が緩んで、これ以上はないという笑顔に変じた。
「そう、それはどうぞどうぞ、こちらへ……」
ボックス席の背もたれがついた椅子を勧める。
これほど歓待されるとは思っていなかったエヌ氏は、どぎまぎしながら椅子の隅に腰かけた。
「どうですか、この雑誌は?」
いきなり感想を聞かれて、心の準備ができていなかったエヌ氏は、何とか答えようと目を泳がせる。
「……えーと。何より、こびていないのがいいです」
すかさず、男……エフ氏が切り返す。
「というと?」
笑顔の奥の目が鋭い。エヌ氏はたじろぐ。どうしたらいいかわからずに、入り口の方を見やった。
ちょうど、カランコロンとドアにつけられた鈴が鳴り、客の来店を報せた。
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