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がたんと大きな振動で目を開く。いつの間にか、眠っていたようだった。電車の過剰な暖房で少し気分が悪かった。
いつの間にか隣に誰かが座っている、と視線を動かす。黒い瞳が、わたしを写して笑った。
「よう」
驚きのあまり声すら出ないわたしを、彼は笑った。
「どうしたの。そんな顔して」
「……、ええと、どうして」
「お出迎え? うん。電車で会えそうな気がした」
臙脂色の幅の広いマフラーをわたしの膝の上に広げる彼を見つめる。罵倒のような言葉が出てきそうでわたしは唇を噛み締めた。
「こっちに戻ってくるの、今日までだから。うっかり会えなかったら、僕が困る」
「……あっそう」
「怒ってる? ごめんって、そんなにびっくりするとは思わなかったんだよ。寝てたの」
「うん」
「でも、はは、ざまーみやがれ」
けたけた笑う声が、電車の中に響く。斜め向こうのおじさんが眉をひそめた。
「みかは……、」
電車の窓から、冬の夕暮れのひかりがころころ零れてくる。ほんの一瞬、彼の表情が陰った、ような気がした。
学生時代の愛称が口からこぼれてしまったことに、お互い大げさに感情を動かしてしまっている、と呼吸一つ分の間で思考する。手を伸ばして、彼のコートをつかむ。
「……なーに」
「みか、みかん? わたし、どっちで呼ぼうか」
「別に。えーと、じゃあ、冬だから、みかんかな」
「じゃあ、みかん。謝ったら、怒るんでしょ?」
「もちろん。君、裏切りだよ」
君、と呼ばわる時は、彼が激怒している時だ。君、君、君、たった二文字を、痛烈な響きにして。
「君、どうして僕を裏切った?」
「……どうしてかなぁー……」
かかとの低いブーツで、電車の床をコンと叩く。そう、わたしは、彼を見捨てて、裏切った。それは、たしかなことなんだけど。
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