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血相を変えたみかんが、堤防からわたしの横に飛び降りてくる。薄い青と、かすかな橙が混じる空が視界いっぱいに広がっていた。昼と夜の狭間の再会なら、わたしたちに相応しいだろう。
退屈な授業を終えてから、わたしたちはいつも夕暮れの海辺を歩いた。
わたしたちの思い出は。だから海にある。
「靴に砂入っちゃった。最悪」
「そうじゃなくて。なにやってるの、この馬鹿。大丈夫か」
「へーき」
みかんの濃紺のコートがはためいていた。昔から変わらない色だった。
「みかん、勘違いしてるな。珍しいね」
「なにが?」
抱っこをせがむ子供のように腕を伸ばす。頭の奥に、波の音が響く。
「わたしの身体はわたしひとりのもの」
「……」
「この腹はね、」
妊婦のように膨れた腹。こうやって仰向けになると重みで呼吸が苦しくなる。からっぽのくせに。重たくいびつな。
からっぽのくせに!
「この腹はからっぽ! なーんにも入ってないの。ぜんぶからっぽ!」
*
なにもかもが嘘だ。名前も描く物語も感情も膨れ続けるからっぽの腹も。
*
「……はぁ?」
「触ってみる? なにも入っていないよ。わたしの血と臓器だけで構成されてて、新たな命なんてない。これは、ただのからっぽの腹」
「ちょっと黙ってよ」
「嫌。これはわたしの自由だ」
「うるさいな、キスでもしてやろうか」
「やれるもんならやってみれば」
起き上がる。髪からぱらぱら砂が落ちる。風が吹く。冬、の、夕暮れ。つんと鼻の奥が痛くなる。
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