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「想像妊娠。腹まで膨れるのは珍しいんだけどね。わかった?」
「……」
「おい、信じろよ」
片目を眇めて、わざとらしく荒れた言葉を使ってみる。かわいこぶったって仕方ないし、素なんてとうの昔に知られているものだから。
「父親は?」
「いない」
「本当に? 付き合ってる人とかは、いないの」
「いないよ」
わたしを見つめる黒い瞳と、濃紺のコート。すべて懐かしいものだった。ふらつきながら立ち上がって、海に向かって歩く。
「いないんですよー」
「……はぁー? わっけわからん。馬鹿やろう」
「ごめんなさーい! でも、そうね。わたしは昨日も今日も明日もひとりで、この腹を抱えている。わたしがひとりだから、この子はここにいる」
かかとを踏んで靴と靴下を脱ぐ。馬鹿みたいによろつきながらそれを拾い上げて、海の中に入る。
「……いつから?」
「三年前」
「ずっと?」
「うん」
足首に海水があたって砕ける。指と指の間を海水と砂が行ったり来たりする感覚がひどく懐かしかった。
「……」
「……信じてよ」
「仕方ないだろ」
波に砂が奪われて、ぐらりと足元が崩れた。背中がとんとみかんにあたる。髪が風に暴れるのをぼんやり眺める。
「カラ」
「なに」
「約束を果たしに来た」
カッ、とほほに熱が上がった。潮騒が響く。水を蹴立てて振り返った。海水が膝の裏を濡らした。
「嘘つき! できない癖にそんな風に言うな、馬鹿! 馬鹿は嫌い! みかんも嫌い!」
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