23人が本棚に入れています
本棚に追加
「あー、かったりいの。午後の一番眠い時間に古文かあ」
古文担当の教諭の授業は、単調で眠くなると評判だった。みつるも不得手で、よくまどろみに落ちる。古文自体が嫌いなわけではないが、もっと脳に刺激のある授業が良かった。特に午後の授業には。
「もうちょっとだから頑張って。みつるは、学校終わったらなんか予定あるの?」
シロはどこか遊びに誘いたいような雰囲気を滲ませたが、生憎みつるには予定があった。
「習い事」
「……? なんの」
「秘密」
みつるは幼い頃から三味線を習っている。しかしそれを周囲には言っていない。シロの残念そうな声音には気づいていたが、それに気づかない素振りで音楽室を後にする。
(冷たいだろうか?)
みつるにはよくわからなかった。
午後の授業が終わったら、またな、とあっさり言って、シロと別れた。
一度自宅に寄って愛用の三味線を持ち出すと、通っている教室に徒歩で出向く。教えてくれるのは辻初音という、厳しいながらも気のいい女性で、みつるとは波長が合った。
「早かったねえ、みつる」
平屋建ての日本家屋は広くて落ち着く。みつるはこの家が好きだった。少し時間より早く着いたのは知っていたが、初音は特に煙たがることもせずにみつるを部屋に上げた。
稽古をつけて貰いながら、合間にぽつりぽつりと会話を交わす。
「そうだみつる。高校を卒業したら、戌亥さんのところに行くって話は、進めていいのかい?」
初音の古い知り合いの三味線奏者の名前を出され、みつるは頷く。以前から話していたことだ。一応親にも承諾は貰い、卒業前の今も、初音を伴い折を見ては浅草にある戌亥先生のところに顔を出す。
この道で生きてゆくと決めたみつるに、芸の域を広げられるようにと、初音が示してくれた指針だった。
それはとてもありがたい話だった。
まだシロには言わない。高校を卒業したら馴染み深いこの地を離れ、シロの前からもいなくなること。次に会えるかもわからないのに、あっさりといつものように別れを告げる。また明日学校で会えるみたいに、気軽に。
むしろ別れの言葉など、必要なかったかもしれない。
自分達は少しばかり気が合って一緒にいる時間が長かった、というだけの単なる同級生だ。学校が繋がり。それ以上でもそれ以下でもない。
嘘つきだな、とみつるは一人笑う。
シロの視線の意味に、なんとなく気づいていた。ただの友達に向けるものではなかったこと。それでもみつるは気づかないふりをして、やり過ごす。
もし気づいてやったなら、シロはなんと言うだろうか。わからなかった。
――ぱつり。
びっくりした。
三味線の弦が切れていた。
「ああ、怪我はないかい」
「ごめん、力入れすぎたかも」
撥を置き、切れた弦の端をつまむ。初音はみつるの手を軽く握り、傷がないか見ていたが、特に支障はなくすぐに放して立ち上がった。
最初のコメントを投稿しよう!