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「眞玄ー」
普通の家よりも長い廊下を歩きながら、兄の名を呼ぶ。
初めて会った時から名前呼びだったので、今更お兄ちゃんなどと呼ぶのは却って恥ずかしい。
仕事が忙しく疲れているのだろうか、まだ起きてこない。今日は土曜日で、本来なら小学校も休みのはずだった。しかし今日は特別だ。
六時に、花火が上がった。
今日は音緒が小学校に上がって初めての、運動会だった。
「眞玄ー、朝ごはんー」
月に数度、父が仕事の合間に顔を出す。父である上弦は三味線奏者で、全国津々浦々は勿論のこと、たまには海外にも仕事に行ってしまう。音緒の母に逃げられたあとは、特に再婚もしていないようだった。
音緒は暫定的な居候という身分であるらしいが、結構長い期間に渡って居着いてしまっていた。
「眞玄、朝だよ」
襖を開けて、眞玄の部屋に入り込む。ベッドで眠りに落ちている兄は、大学二年(ダブり)の頃からプロのミュージシャンとして活動を始め、忙しいながらもなんとか大学生活と両立している。
改めて就職活動はしなくて良いくらいに、仕事は軌道に乗っていた。眞玄はギタリストであると同時に、ボーカルも務めている。作詞も作曲もするし、勿論三味線も弾ける多才な男だ。喋りが達者なので歌稼業以外にも重宝されており、非常に多忙だった。もうすぐ23になる。
仕事をする上で、上京してしまえば手っ取り早いのだろうが、自宅から交通費と時間をかけて、仕事に向かう。大学をやめるという選択はないようだった。勿論音緒にとっては、そちらの方がありがたい。眞玄が家からいなくなるのは寂しすぎる。
「起きてよ」
布団を引っぺがすと、寝巻き代わりの浴衣がはだけていて、見る者が見たら相当いやらしい。しかし音緒にはよくわからない。
眞玄とはたまに一緒に風呂に入ったりしているし、同じベッドに潜り込んで眠ることもある。見慣れている。
「眠いよー……音緒、何時?」
「六時半だよ」
「……早。もちっと寝かせて。俺寝たの三時……」
容赦なく開け放たれるカーテンに眉を寄せながら、眞玄は体を丸める。三時間半しか寝ていないのは可哀想だが、一緒に朝食を摂りたい音緒は起こしにかかる。
今ここにいるということは、昨夜新幹線のあるうちに戻ってきたということなのだが、こちらに戻ってから彼女のところに寄り道でもしたのだろうか。
眞玄の帰りが遅いのはいつものことだ。眞玄の彼女を見たことはなかったが、たまにデートと言って出掛けているので、音緒が知らないだけなのだろう。
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