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やはりお互いに人目は気になった為、結局個室という選択になってしまった。個室は個室でも、夏織子の言ったようなホテルの一室ではなく、夏織子自身の部屋だ。更にまずい気もしたが、仕方ない。そして壁を挟んで隣の部屋には、朔がいるはずだった。時間が時間なので、多分熟睡中だろう。
「エロ親父ぃ……俺とそんな年の変わらないようなキャバのネエちゃんに結婚迫るなんて、恥を知れよ。夏織子ちゃん、なんでそんなん受けたの」
「えっ、だっていい男だったからぁ……言っとくけど、あたしから惚れたんだよ。そしたらなんでか、あっさり陥落したんだ。で、体の相性も良かったし、結婚もいいかなーって。眞玄のお父さんはねえ、めっちゃご奉仕タイプでさ。女のツボ心得てんの。すっごいよ」
「言わんでよ、そういうの。聞きたくねえわ」
親の下半身事情など知りたくもないのだろう。うんざりした声でぼやいた眞玄は、夏織子が冷蔵庫から出したばかりの冷えた水に口をつけている。
朔の部屋と造りはほぼ一緒だが、左右が逆だ。しかしやはり女性の部屋なので雰囲気はまるで違う。華やかなカーテンやラグで彩られ、香水の甘い香りが部屋全体に漂っている。
「あたしのこと、怒ってる、のかな」
「えー?」
「音緒のことでさ」
「俺が怒ったってしゃあないけど、確かに腹に据えかねるとこはあるね」
苛立ちがまた表面化する。眞玄が弟を捨てた女に対して、何も思わないわけがない。きっと色々言いたいことがあるのだろう。けれどあえて口にはせず、言葉を飲み込んでいる。
「ね、眞玄。朔ちゃんのことは抜きにしてもさ、ちょっとだけ、あたしと気持ちいいことしない?」
「唐突」
「みつるさんと似てるから」
「――みつるさんて誰だよ?」
急に出された名前に、眞玄は不審げに眉を寄せた。質問された夏織子も不思議そうな顔になる。
「え、自分の父親の本名も知らないの? 上弦は雅号。三弦が本名」
「あー……三弦て書くアレ」
以前誤植かと思った例のアレだ。眞玄は空中に指先で文字を書いてみる。
「勘弁。前に言ったじゃん。お母さんと同じ名前だから無理って。あの時夏織子ちゃんがえらくウケてたのはもしかして、上弦が同じ名前の女選んでるのに笑ってたん?」
「まあねー。だって面白かったんだもん。みつるさん、三回結婚して三回ともカオルコと結婚してるんだよ。あたしの前の女がそういう名前ってのは聞いてたけど、まさか眞玄のお母さんがそうだって聞いたら……名前で選んでるのかなって思ったらさ、笑いが止まらなくって……」
しかしふと、その笑いが止まった。
「――カオルコだったら、あたしじゃなくても良かったんだろうなって、思ったんだ」
「まさか。いくらなんでもそんなんで結婚決めないでしょ」
「こんな偶然ないじゃない。やけにあっさり結婚してくれるなって思ったんだ。……だからね、あたしたちは長続きしなかったんだよ」
じわっと涙が滲んだ夏織子になんと言ったら良いのかわからなくなり、眞玄は意味もなく天井を仰ぎ見た。
「クソ親父ぃ……」
ぽつりと呟いたが、その言葉が上弦に届くはずもなかった。
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