第21話 蝕

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第21話 蝕

 ある日の夕方。  たまに訪れる戌亥邸の縁側で、上弦は出された茶を飲んでいた。  少し離れたところで、弓都が蘭鋳(らんちゅう)の入った金魚鉢にぱらぱらと餌を落としている。 「今日は、どうしました? あなたが来るのはいつも突然ですね」 「戌亥先生元気かなと、思って」 「なんだ、僕に会いに来たわけではないんですね。父は今日は不在ですよ」  弓都はくすりと笑い、ガラスで出来た急須を持って上弦の傍にやってくる。  年を経ても、弓都はたおやかだ。静かな笑みを浮かべる男は上弦よりも年上だったが、年齢をあまり感じさせない。落ち着いた色の着物が良く似合っていた。 「勿論、弓都さんも元気かと様子を伺いに、さ」 「何か困ったことでもありました? 良い大人になっても、みつるくんは僕に甘えたなところがありますからねえ」 「困ったこと、ね……」  上弦は傍らの灰皿を引き寄せ、着物の袂から煙草を取り出し火を点けた。暫くぼんやりと紫煙を吐いていたが、やがてぽつりと切り出す。 「ま、色々……何点か。俺ぁよ、好き勝手生きてきて、そりゃ周囲に迷惑もかけ通しなんだろう。その点はてめえで理解してる」 「自覚あったんですね」  上弦の隣で自分の湯飲みに茶を注ぎながら、弓都はまた笑う。 「この前、息子の運動会があったもんで、辻先生のところへ行ってきたんだが……昔、弓都さんに話したことがあったかもわからんけど、高校の時の親友だった男に、出くわした。脩平ってんだが」  言われた弓都は記憶を探るように宙を仰いだが、古い記憶なのか急には思い出せなかった。 「んでま、そこでよ。脩平の息子ってのが帰りに迎えに来てくれたんだが……これが何故か……俺に攻撃を仕掛けてくるんだわ」 「攻撃、ですか? ディスられてるんでしょうか?」 「弓都さん、ディスられてるなんて言葉、どこで覚えたよ」 「テレビをつけたら、自然に耳に入るでしょう? ――で、なんですか続きは」  上弦が弓都に何か個人的な話をする時は、相談事というよりただ吐き出したいだけのような気がする。どうでも良いことを挟む男に苦笑いして、弓都は落ちて行く太陽の空をぼんやりと眺めた。  弓都は体を壊して、今は舞台に上がっていない。  結局誰とも結婚せず、かと言って好き勝手に人生を消費したかと言えばそうでもなかった。  たまに会いに来る上弦は、心の拠り所でもあった。今は昔と違い、体の関係は一切ない。上弦が最初の結婚をしてからは、一度もそういったことはなかった。  それは上弦なりのけじめなのだろうと、弓都も何も言わないし、本当に今更だった。 「……最初は弟子になりたいって言われてさ、額面通りに受け取って、断ったんだが。どうも本心は別にあるらしいのを、字面から読み取った。俺に気があるようだ」 「字面? 手紙でもいただいたんですか」 「いや……スマホにたまに、なんか送ってくるようになった」
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