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第22話 雨に滲む
梅雨入りしたばかりで朝から空模様が思わしくないその日、上弦が辻家を訪れたのは音緒に会う為だけではなかった。
音緒の母親であり、別れた三番目の妻である夏織子と、三人で会うことになっていた。軽く髪を撫でつけ、髭も綺麗に剃って身だしなみを整え、正絹の着物に身を包んでいる。なんとなく己の心がぴりぴりしていることに気づいていた。
音緒が母親を恋しがっていることは、薄々知っていた。言葉にこそしないが、会いたいに決まっている。だから三人で会うことによって今後どうなってゆくのか、ある程度の覚悟を持って臨むべきだった。
「覚悟、ねえ……」
誰に言うわけでもなく、ぽつりと呟きが漏れる。以前眞玄から買い取った黒いクーペを駐車スペースに停めると、着物が小雨に濡れないよう和傘を開いた。
雨に庭木や草の匂いが混じる。どことなく懐かしい匂いを感じながら、用意した土産をその手に下げ、通い慣れた広い家屋へ向かう。
「パパ! えー……どうしたの?」
呼び鈴を押すと中から音緒が廊下を小走りにやってきた。
「おまえに会いに来たんだろ」
「お出掛けするの?」
普段とどこか違うのを感じ取ったようで、音緒は少し首をかしげたが、ごそごそと上弦の袂に手を差し込んだ。
「なんかあった!」
「そりゃ煙草だよ。音緒、こればあちゃんに」
雷おこしの入った紙袋を渡すと、音緒はつまらない顔をした。
「僕には?」
「あとでどっか出掛けような。そこでなんか買ってやる。とりあえず、家に上げてくれや」
「はぁい。ばあちゃん、パパ来たよ」
初音の部屋の方に向かって声を掛けながら、音緒がまた廊下を歩いて行く。玄関先には季節を感じさせる紫陽花の鉢が一つと小さな子供用の靴が一足あり、まだ夏織子の物と思われる靴は置かれていなかった。
「眞玄は?」
「お仕事だよ」
「……あ、そ」
眞玄にいて欲しいわけではなかった。みっともない姿を見せるのは本意ではないし、勿論そうならないように気を張っている。
今更、自分の元を去った女に未練があるわけではない。嫌いになったわけでもなかったが、よりを戻す気はさらさらない。
「おや上弦。今日はやけに良い男っぷりじゃないかい」
音緒に呼ばれて自室から姿を現した初音は、その手に畳まれた着物を持っていた。
「……ばあちゃん、それ」
上弦はそれがなんなのかすぐに気づき、ほんの少し眉を寄せる。
「ああ、眞玄の小さい時の着物だよ。音緒に着せようと思ってね。さっき何着か出したのさ」
「馨子が縫った奴だろう、それ」
見覚えのある小さな着物は、昔最初の妻が息子の為に作った物だった。
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