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「駄目かい? 音緒が三味線始めたのは言ったろう? 今度会合に顔見せで出席させようと思ってね。馨子の作った着物じゃ問題あるかい」
「いや、駄目じゃねえよ。そもそも馨子はばあちゃんの子なんだから、俺が口出しすることじゃねえわ」
「音緒は上弦の子だろう」
初音は軽くため息をつき、手に持っていた着物を広げると、傍にいた音緒の体にあてがっている。
「ああ、似合うね。大きさもなんとかなりそうだ」
「ばあちゃん、これ僕着ていいの?」
「眞玄のお下がりだけど、いいかい?」
「うん」
にこにこと嬉しそうに着物を触る音緒に、上弦は複雑な目を向けた。それに気づいたのか、初音が着物を一旦その手に戻す。
「もし新しいのが欲しくなったら、パパに買って貰い。あと、ちょっとパパと話があるからね。音緒は少し外しておくれ」
「はぁい。パパ、またねえ」
音緒はあっさりと身を翻し、居間の方に去っていった。
「さて、茶でも淹れるから、アタシの部屋で待っていなさい」
「……先生。それはいいんで」
「何を気持ちの悪い口の利き方してるんだろうね、この男は。いいから待っていなさい。アタシが飲みたいんだよ」
初音は静かに言って、その場に上弦を残すと台所へ足を向けた。仕方なく初音の部屋の襖を開けて、足を踏み入れる。
真新しい、い草の匂いがした。
――ぱつり。
弦が切れた音が、ふと脳裏に響いた。
それは雨が何かに当たった音を勘違いしただけのことで、実際には弦など切れていない。
馨子と初めて出会ったあの日の、い草の匂いが記憶に残っていた。記憶と匂いはある程度連動している為に、そんなどうでも良いことを思い出してしまったのだろうか。
しかし思い出にすがりに来たわけではなかった。
出されていた座布団には触れず、その横に座して初音の戻りを待っていたら、やがて声を掛けられた。
「上弦、座布団使いなさいな」
湯飲み茶碗が二つ乗った盆をテーブルに置き、初音が向かいに腰を下ろす。しかし勧められた座布団に移動することはせず、上弦は初音に向かって深く頭を下げた。
「いつも音緒の面倒を見てくれて、先生には感謝してもしきれないと思ってる」
「――なんだい、突然」
「もし音緒が、母親についていくと言ったら、俺は受け入れるつもりでいる。俺にはずっと一緒にいてやることは出来ない。抗う資格がない」
「資格ねえ」
初音から深いため息が漏れた。
頭を上げずにいたら、どこから出したのか硬い扇子の縁が髪にそっと触れた。
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