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第1話 切れた弦
昼休みの音楽室でピアノを借りてデタラメな曲を弾きながら、シロが囁くように呼んだ。
「ねー、みつる」
実を言えばみつるはあまりこの名を気に入ってはいない。それでもシロに呼ばれるのは嫌いではなかった。
みつるは雛壇のような形の教室の真ん中辺りの席で、何をするでもなくシロのピアノを聞いていたが、呼ばれて少し眠りに落ちそうだった顔を上げた。
「……ん、なに」
「折角僕が弾いてるんだから、ちゃんと聞いていてよ」
「いやあ……上手なもんで、思わず子守唄、的なね……」
ぼりぼりと頭を掻いて大きな欠伸をしたみつるを残念そうに見て、シロはため息をついた。ピアノの椅子から腰を上げ、みつるの方に歩いてくる。
「なに、もう弾くのやめんの」
「だってみつる、聴いてくれないから」
「うららかな昼休み……、昼寝にはもってこいだし」
目尻に涙を浮かべてまた欠伸をしたみつるに、シロの指先が伸びる。感情の伴わない涙を、指先ですくい取られた。
他には誰もいない、ピアノの音の止んだ音楽室。喧騒は遠く、妙に静かな空間だ。シロの右の下瞼にある泣きぼくろが、ふと目に留まる。みつるは印象的なこれをわりと気に入っていた。それをじっと見ていたら、突然未来のことを振られた。
「なあ、みつる。おまえは将来何になりたい?」
急な話題に、みつるはほんの少し戸惑いを滲ませる。自分達は現在高校三年であり、進路も真剣に考えなければならない立場にあった。まだ進級したばかりだったが、少しでも早いうちに方向性を見い出しても、確かに損はない。ないが、はっきりとした未来を口にしたことはなかった。
みつるはだいぶ前から自分の方向性は定めてあったが、かなり親しいとも言えるシロにさえ、それを伝えてはいない。言うべきことだろうか? とも思ったが、何故か口にするのは憚られた。
口にしたら一笑に付されるだろうか。それとも、みつるなら出来るよと肯定されたろうか。どちらにせよ、言うつもりはなかった。
シロとは、中学一年の時からの付き合いだ。特に相談して決めたわけでもないが、同じ高校に進学して、今もこうやってよく一緒にいる。
多分頭のレベルが似通っていたのと、家から通うのに便利な距離だったからだろう。
「どうかなあ。無難な道は、サラリーマン? あ、公務員?」
「何それ。みつるって夢ないのな、意外と」
「公務員だって、夢溢れてんじゃ?」
「本気かよ。似合わないの」
「何なら似合うってんだよ、シロ……」
あまり興味がなさそうに、聞こえたかもしれない。実際なんと答えて良いものかわからなかったみつるの言葉に、深みはまるでない。
「何その、どうでも良さそうな声」
「んー、ごめんな。眠くて」
「あぁ、そう」
シロの顔が近付いて、耳元に吐息がかかる。ぞくんとしたが、あえて反応はしない。
「みつる」
「……ん」
「そろそろ午後の授業始まるから、戻ろう」
みつるは相変わらず眠そうな態度で立ち上がり、伸びをした。
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