192人が本棚に入れています
本棚に追加
オランが驚いた顔をしたのは一瞬の事。
どうせまた、あのガキの『悪ふざけ』だろうと予測は出来た。
真顔のオランに見つめられて、アヤメが感じたのは、驚きでも気まずさでもなかった。
やっと……待ち望んでいた『彼』が、すぐ目の前に居る。
それは喜びと期待で胸が躍るような感覚に近かった。
アヤメは、オランの瞳から唇へと視線を移す。
(キス………したい……)
抑えられない衝動と本能に導かれるまま、アヤメはオランに自らの唇を近付けていく。
だが触れる直前になって、オランがそれを避けて上半身を起こした。
それによって、オランに覆い被さって倒れていたアヤメも一緒に起こされ、ベッド上に座った体勢で正面から抱き合う形になった。
キスの『おあずけ』をされたアヤメは、物欲しそうにオランを上目遣いで見上げた。
だがオランは静かな瞳のまま、アヤメの唇ではなく左手に触れて、そっと持ち上げた。
婚約指輪の嵌められている、アヤメの左手の薬指を見つめた。
「………力が弱まっているな」
「え?」
何の事だか分からないアヤメはオランの顔を見るが、彼の視線の先は指輪だ。
「大人しくしてろよ」
今朝の素っ気なかったオランとは違い、優しい口調だった。
オランはアヤメの左手を自分の口元にまで持ち上げると、指輪の宝石に口付けた。
「あっ………」
アヤメは思わず小さな声を出してしまい、恥ずかしくなって口を噤んだ。
昼に図書館で寂しくなった時に、自分も指輪の宝石にキスをした事を思い出したのだ。
指先が、温かい……熱を帯びて熱くなっていく気がする。
キスをされているのは、指ではなく指輪なのに……唇の熱が指に伝わるはずはないのに。
それなのに……熱を感じる。
オランは今、『口付け』という方法で、指輪に自身の魔力を注ぎ込んでいるのだ。
指輪の魔力は、オランから離れると効果が薄れてしまう。
今日は朝からずっとアヤメと離れた場所に居た為に、指輪の魔力が弱まってしまっていた。
魔力を込める方法なんて他にもあるのに、何故ここで『キス』という方法を選んだのか。
オランが指輪に口付けたまま、目線だけをアヤメに向けた。どこか意地悪く……楽しそうな眼で。
(ちがう、オラン…そこじゃない……)
思った通りだった。
アヤメは指ではなく、オランの眼を必死に見つめ返し、目で何かを訴えている。
唇を少し動かして『早く早く』と、せがむようだった。
(……お願い……キス……させて……)
それは、まさしく『おねだり』という懇願だ。
それに気付いても、意地悪なオランは時間をかけて指輪に魔力を込める。
『おあずけ』を楽しみたいオランは、その快楽を簡単に手放す事はしない。
ようやく、オランは指輪から唇を離し、顔を上げた。
目の前では、アヤメが目を潤ませながら、何かを期待して待っている。
「なぁに欲しがってんだよ」
アヤメからは、今朝の反抗的な態度は微塵も感じられない。
「もう……キスしてもいい?」
迷う事なく即答したアヤメに、オランは少々驚いた。感心に近いかもしれない。
これは、調教による『禁断症状』なのだろうか。
今日の二人の『少し離れた時間』が、予想外の成果をもたらした。
今日は、今までにない何かをアヤメから引き出せるかもしれない。
オランの期待と願望は止まらなかった。
「その前に言う事があんだろ?」
それさえ言えば、キスを許される。そう教え込まれた日課だ。
「オラン、好き……キス、したい……お願い……キスさせて?」
必死で懇願するアヤメの言葉は、もう止まらなかった。
羞恥心も、反抗心も、全てが捨て去られていた。
「一緒に寝たい……寂しい……ごめん、な……さ……」
「オイ、泣くなよ」
オランが珍しく焦り出した。このままだとアヤメが大泣きしそうな勢いだ。
「それ命令?」
「あ~~そうだ、命令だ、泣くんじゃねえぞ」
「う……分かったぁ……」
従順なアヤメは、自分の涙すら抑え込んだ。そこだけは見事な感情コントロールだ。
いや、コントロールされているのはオランの方で、いつの間にかアヤメのペースだ。
「ったく……悪かったよ」
オランはアヤメを力強く抱きしめた。17歳の小さな身体は簡単に包み込む事が出来る。
気持ちを落ち着かせようと、頭を優しく撫でてやる。
ずっと求めていた温もりに包まれて、アヤメは彼の胸に顔を押し付けて微笑んだ。
アヤメは顔を上げて、先ほどよりも近くにあるオランの顔に問いかけた。
「怒ってる?」
「オレ様が、いつ怒った?」
「じゃあ、キス?」
いい加減キスしてやらないと、この可愛い『おねだり』は永遠に続きそうだった。
そんなアヤメを見続けたいとも思うが、今日のアヤメは上出来だ。
怒るどころか、ご褒美を与えて褒めてやるべきだろう。
オランは真剣な眼差しで、赤の瞳にアヤメの瞳を映した。
「好きだ。アヤメ」
その言葉に驚いたアヤメが何かを言おうと、唇を開いた瞬間。
その唇を塞ぐかのようにオランが深く重ね、口付けていた。
腰の後ろに回されていたオランの両腕が、アヤメの身体を強く引き寄せた。
「……んっ…………」
やっと、待ち望んでいた温もりと感触を与えられ、悦びと快感に身を任せる。
自分からのキスではない。オランから与えられたキスだ。
アヤメはその『ご褒美』を、酔い痴れるように目を閉じながら味わっている。
もう、ずっと離れたくない。
そう思わせる程に全てを受け入れるアヤメの姿は、オランをも満たしていく。
ようやく離されると、オランは今朝と同じように『言葉攻め』でアヤメの反応を試す。
「なんだよ、物足りねえような顔してんなぁ?」
まだ夢見心地で呆然としているアヤメは瞬きもせずに、まだ熱の残る唇を小さく動かした。
「うん……もっとして……」
明らかに今朝とは違う反応を示した。
恍惚としながらも妖艶な微笑みは、少女が女に変わる瞬間を垣間見た気がした。
キス1つするのに必死になっていたあの頃から見違えて、ここまでの仕上がりになるとは。
その出来映えには感嘆する。
そんなアヤメの姿は、自ら手掛けた芸術作品の完成を見るようで、オランに確かな満足感を与えた。
だが満足していないのは、アヤメの方だった。長い期間の渇望は、1回のキスでは満たされない。
だが、満足させないのが、オランの『調教』。ご褒美は一度に何度も与えてやらない。
「そうだなぁ……いい子にしてたら、またしてやるよ」
そう言ってオランは、アヤメの頭を優しく撫でた。
「いじわる……」
子供扱いされたようで、アヤメは頬を膨らませた。
女になったかと思えば、すぐに少女に戻る。
反抗期かと思えば、やはり従順で自分を求めてくる。
目紛しく表情を変える姿すら、オランを悦ばせる快楽の1つなのだ。
アヤメは、すぐにその顔を微笑みに変えると、改めて向かい合う。
ここからは、いつもの『習慣』を行うのだ。
それを理由に、もう1回『アヤメからのキス』が許される。
「おやすみ、オラン」
「それだけか?」
初めて『好き』と言ってくれた彼に返す言葉は、これしか見付からなくて……
彼の『好き』よりも、もっと沢山の『好き』を込めて返したい。
いつもの言葉だけでは、物足りないから……
「……大好き」
そうして今度は二人で眠る為の、優しい『口付け』を交わす。
微笑みを交わした後に再び抱き合い、ようやく二人は同じベッドで眠りについた。
反抗期も悪くはない……オランは、そう思いながらアヤメを抱き寄せて、栗色の髪を撫でた。
「ディアお兄ちゃん、一緒に寝よう~~」
その頃のリョウは突然、ディアの部屋に押し掛けて、怖いもの知らずの彼を驚かせた。
「リョウ様……どうされたのですか?アヤメ様は?」
リョウはお構いなしにディアのベッドに上がり、布団の中に入り込んだ。
何かいい事でもあったのか、ご機嫌なリョウはニコニコして布団から顔を出した。
「お姉ちゃんとお兄ちゃん『らぶらぶ』なの~」
ディアはその意味を想像して固まった。だがリョウは止まらない。
「だから、ジャマはダメなの~~」
「え、ええ……そうですね。ご立派です、リョウ様」
何かがあったかと思って散々、心配したのに今度は………
ディアは失礼を承知で今、二人に言いたい事がある。
………結局は、ノロケだったのか。
言える相手もなく、言えるはずもない言葉は、心の中での一人ツッコミで終わった。
最初のコメントを投稿しよう!