第9話『死神とアヤメ』

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第9話『死神とアヤメ』

「出てこいよ。じゃなきゃ、コイツが死ぬぜ?」 死神の少年は足元に倒れている男を、まるで人質に取ったような口ぶりで言う。 魂を抜かれた村人の男は、仰向けに倒れたままピクリとも動かない。 アヤメは恐る恐る木々の隙間から出て歩み寄ると、少年の前に立った。 きっと、逃げられない……アヤメの本能が、そう感じさせていた。 「あの……あなた……は?」 「見りゃ分かんだろ、死神だ」 見た目は10歳ほどの少年だが、射抜くような目を向けられたアヤメは静かに怯える。 「へぇ………」 アヤメを見た死神は何かに感心するような声を出した。 そして、嬉々とした顔で口の端を吊り上げた。 「お前の魂、見た事ねぇ色だ」 「え?」 アヤメは何の事を言われたのか分からずに、立ちすくんでいる。 どうやら死神には、人間の魂が見えるらしい。 「純白の魂、美味そうだなァ?」 その笑みは、アヤメを極上の獲物として捉えているようだった。 死神は手に持っていた魂の球体を、仰向けに倒れている男の胸元めがけて放り投げて落とした。 魂は、男の胸の中に吸い込まれるようにして消えていった。 「その人……無事…なの……?」 アヤメは自分の事よりも、その村人の身を案じて死神に問いかけた。 「あぁ?コイツか。魂を一口かじったくらいで死なねえよ」 もはや、死神の興味はアヤメの方に向けられているようだ。 死神は鎌を構えると、その鋭い刃先をアヤメに向けた。 「代わりにお前の魂を食わせろ」 もはやアヤメを人間ではなく『極上の魂』としか見ていない。 アヤメは震える足で一歩下がった。 「い、いや………」 死神に魂を喰われる事、それは人間にとっては『死』。 だが、逃げる事も出来ない……成す術もない。 死神がアヤメに狙いを定め、その大きな鎌を振り上げた。 (オラン、助けて……!!) アヤメが両手を胸の前で重ねて握りしめた瞬間。 「……なんだっ!?」 死神は驚きに目を見張り、鎌を引いた。 アヤメの指先が光輝き、激しい閃光となって死神の正面に放たれた。 その光は衝撃波となり、死神を数メートル先まで弾き飛ばした。 その勢いで、後方の木に激しく背中を打ち付けられた。 「ぐぅっ……!!」 死神は激痛に顔を歪めながら地面に倒れた。 「え……?」 アヤメは何が起こったのか分からず、光源である自分の指先を見る。 光を放ったのは左手の薬指。婚約指輪だ。 (指輪が……守ってくれた!?) この指輪にはオランの魔力が込められていて、アヤメを危険から守る。 その事を思い出したアヤメは、今、ここに居ない愛しい人の事を思って涙を浮かべた。 しかし、次にアヤメが取った行動は、死神にすら予測の出来ない事だった。 背中の痛みで、木にもたれて座り込んでいる死神の前に立ったのだ。 すでに死神を臆する様子もない。 「大丈夫?怪我……してない?」 アヤメが顔を覗き込む。死神は驚きの目で、その優しい瞳を見上げた。 だが、次の瞬間。 「……来るな!!近寄るんじゃねえっ!!」 威嚇というよりは、何かを恐れているような拒絶だった。 アヤメは不思議に思ったが、数歩後ろに下がって距離を取った。 「それを……近付けんなっ…!!」 死神が指差す方向を見ると、それはアヤメの指輪の事だった。 指輪の赤い宝石は、まだ微かに発光している。 「それは……オレの……生命力を吸収する……」 「えっ!?そうなの!?どうしようっ……」 ここまで弱っている死神を、これ以上追い詰める事はしたくない。 危険から守る為の指輪の力なのだろうが、アヤメにとっては不本意だった。 アヤメは指輪にもう片方の手を乗せて、力を抑え込むように念じた。 (この人は敵じゃない、大丈夫、もう大丈夫……) アヤメの想いが通じたのか、指輪の光は収まり、何の反応も示さなくなった。 アヤメは、ほっとして息を吐くと、再び死神に歩み寄った。 死神は、背中の痛みと生命力が尽きかけた事により、息を荒くしている。 アヤメは膝を折って座り、死神と視線を合わせる。 アヤメを見返す死神の瞳は、先程までの鋭さは皆無で……弱々しかった。 「ねえ、どうすれば、あなたが元気になれる?」 アヤメが優しく問いかけた。本気で死神を助けたい一心なのだろう。 「……魂か…生命力……」 死神の小さな呟きを聞くと、アヤメは少し顔を伏せて何かを考えた。 そして、決心したように顔を上げた。 「魂は無理だけど、生命力なら私のをあげる」 「………!!」 死神は力のない目をしながらも、驚きを隠せない様子だった。 「大丈夫よ。だって私、悪魔にも生命力をあげた事があるの」 それは、オランの事を言っていた。 悪魔のオランは、人間界では契約者であるアヤメの生命力を吸収しながら活動する。 「………いいのか?」 先程まで魂を強引に奪い取ろうとしていた死神が、今度は念を押す。 「うん、いいよ。あ、でも死なない程度でお願いね」 ただ純粋に相手を思いやる、温かい微笑み。 人から恐れられる自分に、こんな笑顔を向ける人間は初めてだと死神は思った。 「分かった」 一言の後、引き付けられるようにして、死神はアヤメに両手を伸ばした。 オランの時は、アヤメを強く抱き締める『抱擁』によって生命力を吸収した。 きっと今回も同じだろうと思って、アヤメは死神に身を任せるつもりだった。 ………だが。 死神が伸ばした両手が、アヤメの頬を包んだ。 次の瞬間、躊躇いもなく……アヤメに口付けたのだ。 「…………っ!?」 アヤメは驚いて目を見開くが、死神が離れる様子はない。 死神が人間の生命力を吸収する方法は『口移し』なのだ。 しばらく、そのまま時が流れた。 満足するまで生命力を吸収したのだろう。 ようやく、アヤメから離れた死神は、目の前で満足そうに舌舐めずりをした。 硬直していたアヤメはハッとして、自分の口元を手で押さえた。 (どうしよう……オラン以外の人と……キスしちゃった……) 相手が子供とはいえ、それは耐えきれない程の衝撃と罪悪感となった。 だが死神は、今度は子供らしい明るい笑顔をアヤメに向けた。 アヤメの生命力を吸収して、すっかり元気になったようだ。 「お前、気に入ったぜ。オレ様のモノになれ」 アヤメは困惑を忘れて、思わずプっと吹き出して笑ってしまった。 良く捉えれば、それはプロポーズ。だが、相変わらず人をモノ扱いだ。 「ごめんね。私にはもう、結婚を約束している人がいるの」 オランの事を想いながら、左手の婚約指輪にそっと手を添えた。 それでも死神は不満そうな顔はしない。全く気にしていない様子で言う。 「なら、お前が次に生まれ変わった時は、オレ様のモノだ」 なんと、来世の約束をしてきたのだ。気が早い、とでも言うのか。 そんな遠い未来の事なんて、アヤメには何も想像が出来ない。 「ありがとう。でも……」 何度、生まれ変わってもオランと結ばれたい。 だが、その言葉を言い終える前に、死神が言葉を繋げた。 「オレ様はグリア。死神グリアだ。覚えておけよ」 そう言えば、お互い名前を名乗っていなかった。 「私はアヤメ。よろしくね、グリアくん」 アヤメの優しい微笑みに、死神は少し照れながら笑顔を返した。 「アヤメ。来世では、オレ様が守ってやるからな!」 もう来世でアヤメと結ばれる気でいるらしい死神は、堂々と宣言した。
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