第9話『死神とアヤメ』

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思う事は色々あるが、オランは何も返さずにアヤメが言い終えるのを待った。 「死神に……キスされて……」 何よりもアヤメが罪悪感を感じている事を口にした瞬間。 それはオランも同じだった。その言葉に、一瞬にして血相を変えた。 「………なんだと?」 低く放たれたオランの一言に、アヤメは怯えて言葉を詰まらせた。 その死神が子供であったという説明が抜けている。 だが、それを言った所で状況に大差はない。 「ごめんなさい。私はオランの物なのに……」 オランはアヤメを見て、ハッと我を取り戻して憎悪の感情を抑えた。 勝手な行動や死神への嫉妬よりも、哀しさに近い感情が込み上げてきた。 それは何よりも、目の前のアヤメが泣き崩れてしまう姿を見たくない、という本心だった。 そっとアヤメの体を抱いてやると、アヤメは背中に両腕を回して抱き返してきた。 「物とか言うんじゃねえよ」 「………うん」 「待たせて悪かったな」 「…うん、待ったんだから……」 優しくしてやれば、一転して強気に返してくるアヤメに意表を突かれる。 本当に反省したのか?これは、まだ反抗期なのだろうか?という疑問が尽きない。 いや、むしろ反抗期ならば、仕方がない。 それは成長過程の一環であるのだから。 「ねえ……キスしていい?」 首を傾げて可愛い『おねだり』をするアヤメを拒めるはずもない。 何にしても、一日を耐えたご褒美だけは、与えてやらなくては。 「思う存分しな」 「うん」 そうして、アヤメは唇をそっと触れるようにして口付けた。 どこか申し訳なさそうで控えめな触れ方に、オランは物足りなさを感じた。 この反抗期の少女は、反省はしてないが罪悪感は感じているらしい。 その瞬間にオランの中で生じたのは、今までにない破壊衝動。 死神に奪われた唇の感触など、記憶ごと消し去るほどにアヤメを壊してやりたい。 アヤメの心、身体、記憶、全てを自分だけで満たして、染めて、埋め尽くして、支配したい。 オランの方から、グっと体を押し付けた。 ベッドに座っているアヤメの上半身は背中から押し倒されて、オランを受け止める体勢になった。 アヤメはオランの背中に回した両腕にさらに力を込めて引き寄せた。 目を閉じながら深く長く、角度を変えては何度も唇を味わう。 しばらく、アヤメの気が済むまで、このまま口付けさせてやろうと思った。 だが……しばらくすると、アヤメの呼吸のリズムが変化した。 吐息とは違う。妙に規則正しいリズムだ。 不思議に思って唇を離して見ると、アヤメが寝息を立てている事に気付いた。 オランは呟いた。 「大した女だな……」 呆れるというよりは、感心した。 まさか、キスの最中に眠るとは……。 心地よかったのか、物足りなかったのか。反抗期の乙女心は理解が出来ない。 すっかり衝動は消え失せた。さすがに無防備で眠る少女を壊す気になんてなれない。 時刻は、すでに真夜中。 だが何時であろうとも、アヤメはオランが居なければ眠れない。 アヤメがオランに触れた途端に眠気に襲われたという事は、これも調教の成果を示している。 アヤメの左手を手に取る。 思った通りだ。薬指の指輪の魔力が尽きかけている。 今日はずっとオランから離れていた上に、アヤメを死神から守る為に魔力を放出したせいだ。 人間は、魔界では著しく体力を消耗する。 それを防ぐ為の指輪の魔力が弱まったせいで、アヤメの体力が激しく消耗したのだろう。 結局は、疲れ切って眠ってしまったのである。 その温かい手を優しく握って持ち上げると、オランは自身の魔力を注ぐ為に指輪に口付けた。 それが終わるとアヤメを抱き上げ、布団の中に入れて寝かせてやった。 オランはアヤメの寝顔を見つめながら思った。 アヤメはすでに、自分なしでは生きられない。 それは最初から自分が望んだ事であり、アヤメは抗う事なく自分の意思で応えた。 だが今後も日常の中で、アヤメが一人で耐えなければならない事態は起こる。 アヤメから目を離す事は出来ない。成長途中の心も感情も不安定で予測不能だ。 せめてもの救いは、悪魔の寿命が数万年と長い事。 自分はアヤメよりも先に死ぬ事はない。 アヤメを残して逝く事は決してない。 だが……人間の寿命は、あまりにも短すぎる。 この時から、オランの中には、ある決意があった。 アヤメが何度生まれ変わろうと、何度でも巡り会い、何度でも結ばれる。 その為なら、どんな代償でも払う覚悟がある。 アヤメの心と身体、そして魂さえも……輪廻という鎖で縛ろうとしていた。 「おはよう、オラン。好き……」 いつもの朝。愛しいその微笑みを、何度でも永遠に迎えられるように。 『魂の輪廻』の儀式は、すでに始まっていた。
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