第10話『最高の選択』

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アヤメの異変は、それだけではなかった。 午前中、アヤメはリョウと共に城内の図書館で読書をするのが日課だ。 だが、今日のアヤメは本を選ぶ訳でもなく、ただ図書館内をウロウロ歩き回っている。 まるで迷子になったかのように、あらゆる本棚の前を行ったり来たりしていた。 リョウは机に座りながら、アヤメの不思議な行動を遠巻きにして眺めていた。 気が済んだのか、アヤメは本も持たずにリョウの座る読書用の机に戻ってきた。 「お姉ちゃん、何してたの?」 リョウが聞いても反応が鈍く元気がないアヤメは、少ししてからようやく答えた。 「うん…ちょっと、疲れたから……昼寝しようかな」 アヤメにしては珍しい事だった。そこまで疲れる程歩いた訳でもないだろうが、顔色も良くないようだ。 リョウは幼いながらにアヤメの体調を心配して、水色の瞳を潤ませた。 そして一緒に図書館を出て、オランの部屋に戻る事にした。 『アヤメが部屋に戻って寝ている』 たったそれだけの事だが、仕事中のオランの元へと報告が届いた。 昼前とは言え、一人では眠れないはずのアヤメが取る行動としては異常だ。 アヤメの体調が悪い可能性もある。 まだ昼休憩の時間でもない午前中だが、オランは急ぎ足で自室へと戻った。 部屋に入ると、いつもの豪華な椅子のある居間には、すでにディアとリョウがいた。 「アヤメの様子はどうだ?」 「分かりません。今はお休み中ですので、お話されるのは後にした方がよろしいかと」 冷静なディアの判断が、今は頼もしい。 リョウも心配そうにしている。 「お姉ちゃん、ぐるぐる歩いてたし、元気なかったの」 それを聞いてディアは疑問に思った。元気がないのに、歩き回る?どこか挙動不審だ。 原因を推測するうちに、オランの方に鋭い視線を向けた。 急に睨まれて、オランは『何だよ』とばかりに、数倍の眼力をこめて睨み返した。 「魔王サマ……思い当たる節はありませんか?アヤメ様が寝不足になるような」 「あぁ?ねえよ」 本当に思い当たる節がないので即答した。 だがディアは端からオランの返答を信用していなかったのか、今度は疑惑の目を向ける。 「恐れながら、私の推測なのですが……申し上げてもよろしいのか……」 「何だよ、早く言えよ」 「それは命令ですか?」 「そうだよ、命令だ……って、アヤメの真似すんなよ、早く言え」 「はやく言え~~」 「ガキはオレ様の真似すんな」 ディアが勿体ぶる上に、リョウが口を挟んでくるので、なかなか話が進まない。 だが、ディアの口から放たれた『推測』は、衝撃的な言葉だった。 「アヤメ様は、ご懐妊されたのでは?」 「……………」 さっきまでの傲慢な態度はどこへ行ったのか、オランは急に言葉を失った。 ディアが冗談を言わない事は知っているし、思い当たる節が無ければオランも即座に否定する。 「ごかいにんって、なーに?」 リョウの純粋な質問だけが部屋に響く。もちろん誰も答えない。 「オイ、ちょっと待て…!そこまではしてねえぞ、多分」 何が多分なのか、完全否定しない所が怪しい。 「キスくらいだろ?オレ様が毎日してんのは」 「悪魔との間での人間の懐妊は前例がありませんから。キスだけでも成してしまうかもしれませんよ」 「……ディア、そこの所、よく調べておけ……あと、医者の手配だ」 「承知致しました」 どちらも内心は動揺しているのか、話が現実にありえない方向に進み始めている。 悪魔が人間と契約を交わす時に行うのが『口付け』なのだから、懐妊の前例がない時点でおかしい。 だが、問題は方法ではなく、回数と頻度という流れになってきた。 「魔王サマがアヤメ様に1日2回のキスを強要するからですよ」 「強要じゃねえ、回数も違ぇよ、1日2回以上はしてるぜ」 「お姉ちゃんと、お兄ちゃん、いっぱいチューしてるよ~」 「ホレ見ろ。思い知ったか」 「魔王サマ…幼子の目の前で何という事を……」 ………この悪魔は相変わらず、どうしようもない。 思いがけなく浮上した、アヤメの懐妊疑惑。 願望に身を任せた魔王の行いの末に、授かり婚となるのだろうか?
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