192人が本棚に入れています
本棚に追加
第2話『新・王宮生活』
魔界の城に連れてこられたアヤメは、オランの部屋へと案内された。
アヤメ専用の部屋は用意されない。オランと同室なのだ。
この時点で、すでにオランには、ある『思惑』があった。
「初めまして、アヤメ様。私は魔王サマにお仕えしております魔獣・ディアと申します」
後からオランの部屋に入って来たディアは、アヤメに丁寧に頭を下げて挨拶をした。
すでにアヤメが魔界に来る事は、誰もが承知であるらしい。
「ディアさんは、獣……なんですか?そうは見えませんけど…」
アヤメは、普通の青年にしか見えないディアを見つめて、不思議そうにしている。
クールなディアは、顔色一つ変えないで答える。
「私の本来の姿は凶暴ですので、封印されています。魔王サマにしか封印は解除できません」
つまり、ディアは自分の意志で魔獣の姿に戻る事は出来ないのだ。
すると、ずっと黙って椅子に腰掛けて肘を付いていたオランが、口を挟んだ。
「挨拶はもういいだろ?肝心なのは、これからだ」
するとアヤメは表情を曇らせたが、すぐに意を決して真直ぐオランを見据えた。
「覚悟は出来ています。焼くなり、煮るなり、蒸すなり、お好きな様に……」
「いや、だから喰わねえって」
さすがのオランも、ツッコミを入れるしかなかった。
生贄のイメージなのか、なぜか熱する系の調理法ばかり連想する少女。
アヤメを喰うために持ち帰ったと、本気で勘違いをしているのだ。
現代で言うテイクアウトの発想だ。
オランは椅子から立ち上がると、堂々と言い放った。
「決めたぜ。アヤメをオレ様の妃にする」
しばらくの、沈黙。
あまりに唐突な宣言に、クールなディアも僅かに目を見開いている。
ようやく、アヤメが一言。
「妃…ですか?」
その言葉に、オランが続ける。
「あぁ、妻だ。嫁だ。娶るって事だ。分かったか?」
別に『妃』という言葉の意味が解らなかった訳ではないが、オランが次々と言葉を畳み掛けて行く。
「分かりましたけど…私でいいのですか?」
「オレ様が決めたんだ。文句は言わせねえ」
アヤメは戸惑っていた。生贄として連れてこられたはずなのに、どういう処遇なのか。
だが『私を好きな様にして下さい』と言ってしまった手前、反論の余地はない。
不思議と、抵抗も拒絶する気も起こらない。
そして意外にもディアの反応も、それを否定するものではなかった。
「今まで一度も妃を取らなかった魔王サマが、ようやくお決めになったのですね。アヤメ様、心より歓迎致します」
むしろディアは嬉しそうだった。ただ、相手が人間だという事には驚いたようだった。
だが、人間であるアヤメが段取りもなく、いきなり王と結婚という訳にもいかないだろう。
まずは、アヤメが魔界の生活と環境に慣れる必要がある。
だが、アヤメは魔界に来たというのに、それほど戸惑いを見せなかった。
生贄として腹を括っていた事もある。
何よりも、魔界にいる人達、城の使用人の女性達も、人間と変わらぬ姿をしていたからだ。
オランだって、コウモリのような羽根を隠してしまえば、見た目は人間と変わらない。
本来は魔獣であるディアだって、普段は人間の姿をしている。
城の窓から外を眺めれば、見慣れた空に木々や山々、小さく見える城下町。
魔界は、魔物だらけで恐ろしい場所、というイメージが持たれそうな世界。
だがアヤメにとっては、船に乗って異国のお城に来たような感覚に近かったのだ。
魔界に来て初日の夜、アヤメはオランと一緒のベッドに寝る事に対し、初めて抵抗を見せた。
いや、これは単に、乙女の恥じらいだ。
「魔王様、さすがにそれは……いけないと思います…」
「あぁ?何言ってんだよ、妃になるなら当然だろうが」
手順を踏んでいるのか、いないのか。アヤメには理屈が良く分からなかった。
「何もしねえよ、来い」
オランが優しく、そう言ったので、アヤメは仕方なく同じ布団に入り込んだ。
大きなベッドなので、二人寝ても、そこまで密着せずに寝る事は出来るだろう。
だが…オランは、アヤメが入ってくるなり、ギュっと体を密着させて抱きしめた。
「あ、あの……?…魔王様……」
アヤメの全身の体温が異常に上昇し、その熱が伝わってしまわないかと、さらに心臓を高鳴らせる。
そんなアヤメが面白くて、可愛くて、オランは最高に楽しくなって来た。
「あと、その呼び方と敬語やめろ」
「え…でも、魔王様が、そう呼べと…」
するとオランは、アヤメの耳元で小さく囁いた。
「許可してやるから、名前で呼んでみろ」
その甘い囁きに導かれるように、アヤメの口から言葉が紡がれていく。
「オラン……様?」
「違ぇだろ」
アヤメは恥ずかしくなって、思わず布団の中に顔を埋めた。
「……オラン……」
「それでいい」
オランは満足そうに笑った。
「これは、ご褒美だ」
そう言ってアヤメの左手を取ると、その薬指に何かを嵌めた。
一瞬、薬指に感じた冷たい金属の感触に驚いて、アヤメは自分の左手を見て確認する。
金色に輝く金属の輪に、オランの瞳のような赤い宝石。
「これは何ですか?」
「婚約の証だ。絶対に外すなよ」
「分かりました。綺麗ですね」
だがオランは、また不満そうな顔をしている。
「違ぇだろ、言い直せ」
アヤメの敬語口調が気に入らないのだ。
「うん、……分かった……オラン」
アヤメの薬指のそれは、当時の日本にはまだ存在しなかった、『婚約指輪』であった。
魔界に来たばかりで、疲れたのだろう。
あんなに恥じらっていたアヤメは、オランの隣で、すぐに眠りに落ちていった。
オランは寝顔を見つめながら、しばらくアヤメの栗毛色の髪を指に絡ませて遊んでいた。
退屈はしなさそうだ。これからの日々が楽しみで、仕方が無い。
こうして、魔王の『契約者』から『生贄』に、そして『婚約者』となったアヤメの魔界での日々が始まった。
最初のコメントを投稿しよう!