第10話『最高の選択』

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「アヤメ、こっちを向け。命令だ」 「………はい」 アヤメは素直にオランの方を向いたが、涙を必死にこらえて俯き加減でいる。 そんなアヤメの眼前に、オランは小さなある物を差し出して見せた。 「探し物はコレか?」 オランが手に持っていたのは、金色の輪に赤い宝石の施された指輪。 ずっと探し求めていた、婚約指輪だった。 「えっ…!?それ、どこに……!?」 アヤメは涙の溢れた目を大きく開いて驚いた。 オランは、フゥっと笑って溜め息をついた。怒りの感情など微塵もない。 アヤメの反応が面白くて可愛いとすら思い、むしろ笑いたくなる。 「風呂場だよ」 「え……お風呂……あっ!」 何を思い出したのか、アヤメは声を上げた後、恥ずかしくて頬を赤らめた。 そういえば浴場で、泡だらけになってリョウと遊んでいた…… その時に、スルっと指から滑って指輪が外れてしまったのだろう。 従順なアヤメは、入浴時でも指輪を外さない事が仇となった。 何というか……情けない。 今度は別の意味で涙が込み上げてきた。 「ごめんなさい。婚約の証の指輪だから……なくしたら、結婚してくれないかもって、怖くて……だから言えなくて…」 「オレ様が一度でも、そんな事を言ったか?指輪なんざ、ただの飾りだ」 だが、この指輪はアヤメを守る為に必要なのだ。 体力の消耗を防ぎ、危険から守り、アヤメをずっと17歳の姿のままで生き続けさせる事が出来る。 いや、それは見た目だけ。寿命は普通の人間と変わらない。 ずっと、魔界で…自分の側で…見せかけの永遠の時を一緒に過ごす為に。 「アヤメ、来い」 オランが突然アヤメの左手を握ると、先導して歩きだした。 「え?」 アヤメは手を引かれるまま歩き出す。 菖蒲(あやめ)の花畑の中心まで伸びる通路を、二人は歩いて行く。 真ん中まで辿り着くと、周囲は完全に菖蒲(あやめ)の花に囲まれる。 二人と、周囲を埋め尽くす紫色。それ以外は何もない世界。 オランはアヤメと向かい合った。 オランが、こんなに改まって真剣な眼差しを向けてくるなんて…何事だろう? 先程から口数も少ない。やはり怒っている?説教されるのだろうか? アヤメは恐れながらも覚悟を決めた。 「アヤメ」 「………はい」 アヤメは恐る恐る、オランを見上げる。 だが、見下ろすオランの瞳は穏やかで……優しかった。 その口から告げられた言葉は…… 「オレはアヤメを愛している。この先も永遠に愛し続けると魂に誓う」 …………え? アヤメの口からは言葉が出ない。 心臓が高鳴り、呼吸も思考も停止してしまいそうだ。 愛なんていう言葉は、アヤメは知らない。 言った事もない。まして、言われた事など――― 「永遠にアヤメを守る。妃として添い遂げて欲しい」 心が動揺している。その言葉の意味、それを告げる意味に気付くよりも早く…… その時は訪れた。 「結婚しよう」 アヤメは言葉を詰まらせた。 答えなど考えていなかった。でも答えなきゃ、何か言わなきゃいけないのに…… 言葉は出ないのに、涙だけが次々と溢れて零れ落ちていく。 きっと……この感情は、嬉しさから来るのだろう。ずっと待ってた、欲しかった… 一度、息を大きく吸う。ぐっと、涙を抑える。 「…………はい」 ようやく、一言の返事を返した。 だがオランは優しい視線を向けて、まだ何かを待っているようだった。 もう一言、アヤメが言いたい言葉があるのを見通しているかのように。 何かを期待するように。 答えは分かっている。アヤメは決してオランの期待を裏切らないのだから。 「私は、オランのお嫁さんに…なります」 そして、アヤメが最後に伝えたい一言。 それは今まで知らない言葉であり、知らない感情であったはず。 でも、今は自然に言えそうだから……そう思える事が証なのだろう。 アヤメは精一杯の笑顔でオランを見上げた。 「オラン……愛してる」 ようやく、オランも笑顔を返した。この言葉を待ち望んでいたのだ。 オランはアヤメの左手を取った。 白く細い薬指に、そっと指輪を嵌めてやった。 今までと変わらない、婚約指輪。 だが今、その指輪に込められた約束が、本物の愛の証に変わった。 永遠の愛を誓った『求婚』。 それは、何度生まれ変わろうと魂が存在する限り、永遠に共に在りたいという願い。 アヤメの着物の袖と、オランの黒衣のマントが、優しく吹き抜ける風の流れに合わせて靡いた。 抱き合う二人を祝福するように、菖蒲(あやめ)の花々が一斉に風に揺れた。 夕映えの色―― 風が、花が、香りが、愛しさが―――舞う。 人生の選択肢は、至る所に存在していた。 選択権は、いつでも自分自身にあった。 偶然の出会いから、オランがアヤメを契約者に選び、アヤメがオランの生贄に選ばれた。 オランはアヤメを婚約者に選び、アヤメもまた、オランを愛する人に選んだ。 そうして今、二人が同時に辿り着いた場所。お互いが選んだ最愛の人。 それこそが、二人が歩んで来た道、生きて来た中での、最高の選択。
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