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「アヤメ、こっちを向け。命令だ」
「………はい」
アヤメは素直にオランの方を向いたが、涙を必死にこらえて俯き加減でいる。
そんなアヤメの眼前に、オランは小さなある物を差し出して見せた。
「探し物はコレか?」
オランが手に持っていたのは、金色の輪に赤い宝石の施された指輪。
ずっと探し求めていた、婚約指輪だった。
「えっ…!?それ、どこに……!?」
アヤメは涙の溢れた目を大きく開いて驚いた。
オランは、フゥっと笑って溜め息をついた。怒りの感情など微塵もない。
アヤメの反応が面白くて可愛いとすら思い、むしろ笑いたくなる。
「風呂場だよ」
「え……お風呂……あっ!」
何を思い出したのか、アヤメは声を上げた後、恥ずかしくて頬を赤らめた。
そういえば浴場で、泡だらけになってリョウと遊んでいた……
その時に、スルっと指から滑って指輪が外れてしまったのだろう。
従順なアヤメは、入浴時でも指輪を外さない事が仇となった。
何というか……情けない。
今度は別の意味で涙が込み上げてきた。
「ごめんなさい。婚約の証の指輪だから……なくしたら、結婚してくれないかもって、怖くて……だから言えなくて…」
「オレ様が一度でも、そんな事を言ったか?指輪なんざ、ただの飾りだ」
だが、この指輪はアヤメを守る為に必要なのだ。
体力の消耗を防ぎ、危険から守り、アヤメをずっと17歳の姿のままで生き続けさせる事が出来る。
いや、それは見た目だけ。寿命は普通の人間と変わらない。
ずっと、魔界で…自分の側で…見せかけの永遠の時を一緒に過ごす為に。
「アヤメ、来い」
オランが突然アヤメの左手を握ると、先導して歩きだした。
「え?」
アヤメは手を引かれるまま歩き出す。
菖蒲の花畑の中心まで伸びる通路を、二人は歩いて行く。
真ん中まで辿り着くと、周囲は完全に菖蒲の花に囲まれる。
二人と、周囲を埋め尽くす紫色。それ以外は何もない世界。
オランはアヤメと向かい合った。
オランが、こんなに改まって真剣な眼差しを向けてくるなんて…何事だろう?
先程から口数も少ない。やはり怒っている?説教されるのだろうか?
アヤメは恐れながらも覚悟を決めた。
「アヤメ」
「………はい」
アヤメは恐る恐る、オランを見上げる。
だが、見下ろすオランの瞳は穏やかで……優しかった。
その口から告げられた言葉は……
「オレはアヤメを愛している。この先も永遠に愛し続けると魂に誓う」
…………え?
アヤメの口からは言葉が出ない。
心臓が高鳴り、呼吸も思考も停止してしまいそうだ。
愛なんていう言葉は、アヤメは知らない。
言った事もない。まして、言われた事など―――
「永遠にアヤメを守る。妃として添い遂げて欲しい」
心が動揺している。その言葉の意味、それを告げる意味に気付くよりも早く……
その時は訪れた。
「結婚しよう」
アヤメは言葉を詰まらせた。
答えなど考えていなかった。でも答えなきゃ、何か言わなきゃいけないのに……
言葉は出ないのに、涙だけが次々と溢れて零れ落ちていく。
きっと……この感情は、嬉しさから来るのだろう。ずっと待ってた、欲しかった…
一度、息を大きく吸う。ぐっと、涙を抑える。
「…………はい」
ようやく、一言の返事を返した。
だがオランは優しい視線を向けて、まだ何かを待っているようだった。
もう一言、アヤメが言いたい言葉があるのを見通しているかのように。
何かを期待するように。
答えは分かっている。アヤメは決してオランの期待を裏切らないのだから。
「私は、オランのお嫁さんに…なります」
そして、アヤメが最後に伝えたい一言。
それは今まで知らない言葉であり、知らない感情であったはず。
でも、今は自然に言えそうだから……そう思える事が証なのだろう。
アヤメは精一杯の笑顔でオランを見上げた。
「オラン……愛してる」
ようやく、オランも笑顔を返した。この言葉を待ち望んでいたのだ。
オランはアヤメの左手を取った。
白く細い薬指に、そっと指輪を嵌めてやった。
今までと変わらない、婚約指輪。
だが今、その指輪に込められた約束が、本物の愛の証に変わった。
永遠の愛を誓った『求婚』。
それは、何度生まれ変わろうと魂が存在する限り、永遠に共に在りたいという願い。
アヤメの着物の袖と、オランの黒衣のマントが、優しく吹き抜ける風の流れに合わせて靡いた。
抱き合う二人を祝福するように、菖蒲の花々が一斉に風に揺れた。
夕映えの色――
風が、花が、香りが、愛しさが―――舞う。
人生の選択肢は、至る所に存在していた。
選択権は、いつでも自分自身にあった。
偶然の出会いから、オランがアヤメを契約者に選び、アヤメがオランの生贄に選ばれた。
オランはアヤメを婚約者に選び、アヤメもまた、オランを愛する人に選んだ。
そうして今、二人が同時に辿り着いた場所。お互いが選んだ最愛の人。
それこそが、二人が歩んで来た道、生きて来た中での、最高の選択。
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