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オランとのデートを前にして、アヤメは城下町へと出掛ける事となった。
魔界を目で知る為の勉強を兼ねての外出であり、遊び目的ではない。
アヤメにとっては魔界で初めての外出だが、付き添いはディア一人に任された。
それは護衛も道案内も全てがディア一人で事足りるという、オランの信頼の証。
何よりも、契約者であるオランに絶対服従のディアは、間違ってもアヤメには手を出さないからだ。いや、出せない。
同様に、ディアはアヤメとも契約を結んでいる為、アヤメを裏切る事も絶対にない。
普段は反発的で言い合う事も多いオランとディアだが、お互いが寄せる信頼は厚い。
それに加えてアヤメには、危険から身を守る為の指輪の魔力がある。
身支度を整えたアヤメは寝室から出て、オランとディアの待つ居間へと入った。
「えっと……着替えてみたけど……どう?」
アヤメは恥ずかしそうに、そろそろと二人の方へと歩いていく。
アヤメが着ているのは魔界のローブ。普段着の着物のままでは街で目立ってしまうからだ。
その為、日本の着物と似ている黒のローブを外出着に選んだ。ディアの見立てである。
それは着物よりも薄い布地で、くっきり分かる体のラインに纏った黒一色が大人の雰囲気を漂わせている。
服だけで、ここまで化けるのか……
普段のアヤメの服装と言えば、淡い色の着物か寝間着くらいしか見た事がない。
オランとディアは返事すら忘れてアヤメに見入ってしまった。
結果、誰もが沈黙して部屋が静寂に包まれる。
「あぁ、似合うぜ。来い、アヤメ」
ようやく口を開いたオランが、アヤメを近くへと呼び寄せた。
今すぐに押し倒したい衝動を抑えながら、ローブに身を包んだアヤメの全身を舐めるようにじっくりと見回す。
……帰ってきたら、たっぷりと可愛がってやろう。オランは心に決めた。
そんな思惑など知らないアヤメは、その褒め言葉を素直に受け止める。
少し照れながら微笑むと、オランの前で屈んだ。
「寂しいけど、行ってくるね、オラン…」
これは……新たな習慣、『行ってきます』のキスであった。
そして、アヤメとディアは城を出て、城下町の入り口へと辿り着いた。
日本で言えば16世紀の時代ではあったが、魔界は近代の日本に近い文化であった。
悪魔は普段は羽根を隠しており、道ゆく人々も外見は人間と変わらない。
悪魔の特徴として褐色肌が多いが、アヤメやディアのように白い肌をした者もいる。
ディアのように、本来は魔獣であっても普段は人の姿をしている者もいる。
外見だけでは判断できない、様々な種族が混在しているのだ。
アヤメは繁華街を歩くのも初めてで、行き交う人々の多さと賑わう商店街に呆気に取られていた。
もはや、ここが魔界であるという実感すらない。
アヤメは丈の長い黒のローブを着ている。
ディアは普段と大して変わらない、スーツと軍服を合わせたようなグレーの服だ。
二人とも見た目と服装だけは、魔界に馴染んでいるように見える。
「アヤメ様、行きましょう。あまり驚いた顏をしていると逆に目立ってしまいますよ」
ディアは事務的な口調ながらも、そんなアヤメを心では微笑ましく思った。
「ディアさん、ここで迷子になったら私、どうしよう……」
「大丈夫ですよ。城下町ですから、お城から一直線です」
それでも不安なアヤメは、ディアにピッタリとくっついている。
ディアの片腕を掴んで、そのまま腕を組んでしまいそうな勢いだ。
「ディアさん、離れないでね……?」
純粋な瞳で可愛らしい上目遣いをするこの少女は、何と罪なのだろうか。
おねだり上手なのは、魔王という調教師による教育の賜物なのか。
……いや、これこそがアヤメの天性だった。
オランが一目見ただけでアヤメを妃にしたいと思った衝動が、今なら解る気がした。
常に冷静なはずのディアは、自分の鼓動が高鳴っていくのを感じた。
二人きりだから?こんなにも身近に彼女を感じられるから?
アヤメの服装が、いつもと違うから、だろうか…?
ディアにとってアヤメは『契約者』つまり『主』なのだ。
それ以上の存在ではない、あってはならない…と常に自分に言い聞かせている。
アヤメに対する感情があるとすれば、それはオランと同じく『忠誠』。
それなのに、心を乱すこの感覚は……何なのだろうか?
アヤメは、ディアの心に気付いていない。
ディアも、自分の心に気付いてはいない。
そして、そんな二人が気付いていない事。
17歳の少女・アヤメと、見た目19歳の青年・ディア。
二人並んで歩いている姿、この行為こそが誰が見ても……
まるで『デート』みたいである、という事に。
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