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ディアは人の姿となっても、まだ思い詰めて視線を落とす。
「人の姿を留められず、魔獣でもいられない…どちらが本当の自分なのか……」
自分の意思で姿を変える事も、選ぶ事もできない。
重く沈んだ言葉を漏らすディアの前でも、アヤメは笑顔を崩さない。
「どっちもディアさんだと思うの」
選ぶ必要なんてない、答えを出す必要もない。
それがアヤメの『答え』なのだ。
当然の事のように自然と紡がれた言葉が、ディアの心に響いた。
人と魔獣の間で迷っていた自分が、遠く彼方に掻き消されていく。
どちらの自分も受け入れてくれた『主』。
どちらの姿であろうとも、主の為に忠義を尽くす。
そう改めて誓う事で、これからも生きていけるとディアは思った。
「あ、そろそろお風呂に入る時間。戻らなきゃ」
テラスへの階段を上ろうとするアヤメの身体を、ディアが優しく支えた。
そしてアヤメの片手を握ると、一緒に階段を上っていく。
「ゆっくりお歩き下さい。お足元に気をつけて」
「うん、ありがとう。ふふ、お腹おも~い」
きっとアヤメは、指輪がなくても『魔法』が使える。
呪文がなくても、ただ願うだけで叶えてしまう。
微笑むだけで、たった一言だけで、人を幸せにする『魔法』を。
……先ほどまでとは違い、自分の姿も、満月の夜も怖くはない。
そう思いながらディアは、自分を照らし続ける『欠けた月』を見上げた。
そんな二人の姿を、別のテラスから見下ろす人影があった。
ふっと口元を緩ませると、オランは黒いマントを翻して室内へと戻る。
アヤメが指輪の魔力を使えば、オランが気付かないはずがない。
……それは、ディアも承知の上であった。
アヤメは入浴後、一人で食堂へと向かう。
そこでは、ディアがお湯を沸かしてコーヒーを入れる準備をしている。
この時間、この場所でアヤメがコーヒーを飲むのも、日課になっていた。
アヤメとディアが城の中で二人きりになる、貴重な時間でもある。
アヤメは、テーブルの前に置かれた専用のソファに座る。
お腹の大きいアヤメが楽に座れるように用意された、一人掛けのソファだ。
「大丈夫、さっきの事は誰にも言ってないよ」
「……ありがとうございます」
「ねぇ、ディアさんも一緒にコーヒー飲もうよ」
「承知致しました。それでは失礼して…」
ディアは、主の『お願い』を決して拒めない。
素直に喜んで受ければ良いのだが、ディアは根が真面目なのだ。
ディアは熱湯で入れたコーヒーを2つのコーヒーカップに注ぐ。
それをアヤメの前と、向かい側の自分の前に置いた。
アヤメはコーヒーカップを持って、ふーふーしながら少し口に入れた。
「熱すぎましたか?」
「ううん、大丈夫。すごく体が温まる」
「少しミルクをお入れしましょうか」
「うん。ミルクの魔法をお願い」
「はい。ミルク…の魔法…ですね、かしこまりました」
アヤメは、『ミルク』という魔法でコーヒーがカフェオレに変わると思っている。
当然ながら魔法ではなく、コーヒーにミルクを入れるだけなのだが…。
アヤメにとって見慣れないものは、なんでも魔法だという発想に行き着く。
その発想が可愛いので、ディアもオランも否定せずに黙っている。
今は夜。さらにアヤメが妊娠中なので、二人が飲んでいるのはカフェインレス・コーヒーである。
熱めのコーヒーを飲み終えるまで時間がかかりそうだ。
アヤメは、ディアと何か話をして過ごそうと思った。
「ねぇ、ディアさんは、どうしてオランが好きなの?」
「はい?どういう意味でしょうか」
奇妙なアヤメの問いかけに、ディアは質問で返した。
「だって、オランと契約するほど一緒に居たいのよね?」
「いえ、それは……逆、ですね」
「えっ!?じゃあ、オランがディアさんの事を好きなの!?」
「そうではなくて…いえ、間違っては、いない…ですが…」
アヤメの質問が妙な表現で変な所を突いてくるので、ディアは口ごもる。
「魔王サマが私を必要として下さったのです」
ディアは、遠い過去の記憶に思いを馳せた。
アヤメと出会うよりもずっと前から、ディアはオランと共に歩んできた。
そこには、アヤメの知らない二人の絆があるような気がした。
「ディアさんとオランの出会いの話、聞かせて?」
ディアは、主の『お願い』を決して拒めない。
静かに、オランと出会った『あの日』を語り始めた。
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