第5話『大魔獣覚醒』

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アヤメと魔物の睨み合いが続いた。 どちらも動かず、時間だけが静かに流れて行った。 やがて、その瞳から敵対心がないという事をお互いに感じ取って、一気に気が抜けた。 魔物はその場に足を崩して座り込み、同時にアヤメも座り込んでしまった。 疲れたのと同時に安心して気が緩み、アヤメは無意識に微笑んでいた。 「ふふ……疲れたね、あなたも休む?」 アヤメは恐れもせずに魔物を手で触れて撫でると、さらに体を寄せた。 魔物もアヤメに顔をすり寄せた。どうやら懐いてしまったようだ。 「なぁに和んでんだよ、テメエら」 突如聞こえてきた聞き慣れた声に、アヤメと魔物が同時に顔を上げた。 そこには、オランが魔界の王らしく堂々と威厳を放って立っていた。 「寂しいからって、魔物と遊んでいたのか?大した女だぜ」 「オラン、違うの…!この子、悪気はないの。きっと迷子なのよ」 アヤメが一生懸命になって魔物を庇うものだから、オランは可笑しくなって笑った。 「迷子だってよ?無様だなぁ、ディア」 「えっ………!?」 オランが魔物に向かって『ディア』と呼んだので、アヤメは驚きに声を上げた。 「コイツはディアだぜ。どうやら魔獣の姿に戻ったようだな」 ディアは魔獣に戻ると自我を失くし、完全に野生に還る。 だが、この姿でもオランには絶対服従なのだろう。体を小さく丸めて大人しくしている。 アヤメは信じられないと言った様子で、普段の青年・ディアを思い浮かべて、目の前の魔獣と見比べてみる。 確かディアの魔獣の姿は封印されていて、オラン以外には封印を解除できないと言っていた。 「ディアさん、どうして魔獣に戻っちゃったの…?」 「満月の夜に限って、たまに戻っちまうんだよなぁ。面倒くせえ」 アヤメは空を見上げた。そう言えば確かに、今夜は見事な満月だ。 「アヤメ、よくディアに食われなかったな?……いや。ディア、よく食わなかったな」 「えっ…!?えっ!?」 軽々しく恐ろしい事を口にするオランに、アヤメは今になって恐怖を実感して震えた。 「ディアは人に懐くような魔獣じゃねえ。誰でも見境なく食らう凶暴なヤツだ」 確かに、その獰猛な『獣』特有の鋭い爪と牙を見ると、説得力がある。 「だが、ディアはアヤメを認めたようだな。オレ様以外に懐いたのは初めてだぜ」 それに万が一、ディアがアヤメを襲ったとしても、指輪の魔力がアヤメを守る。 だからこそ、オランはアヤメを助けずに、ディアの事も『試して』いたのだ。 「ホラ、戻れ、ディア」 オランは魔獣に向かって片手をかざした。 何か呪文のようなものを呟いていたが、アヤメには聞き取れない。 最後の言葉だけは、ハッキリと言い放った。 「封印」 すると、一瞬にして魔獣の姿が光に包まれて、飲み込まれたと思ったら……その姿が、みるみる収縮していく。 人と同じくらいの大きさになると止まり、やがて光も消えて、そこに青年の姿が現れた。 いつもの、人の姿のディアだ。 ディアは途端に、地に両膝を突いた。 「魔王サマ、アヤメ様、申し訳ありません……!」 いつも魔王をも恐れないクールなディアの弱さが露呈されて、アヤメは逆に申し訳ない気持ちになった。 オランはディアの前に立ち、容赦なく冷たい瞳で見下ろした。 「だから、満月の夜は外に出るなっつってんだよ」 「……はい、失念しておりました……」 元はと言えば、アヤメを心配してテラスに出てしまった事が原因で、悪気など無かった。 そもそも魔王にしか制御できない凶暴な魔獣を、あえて側近にしたのは何故か。 いや、『だからこそ』オランは、ディアを側に置いたのだ。 それが、ディアを救う唯一の手段でもあった。 「だが、いい事が分かった。アヤメはディアの契約者にも相応しい器だ」 「ディアさんの契約者?」 普通の人間なら、魔物を目の前にした時に取る行動は『逃げる』か『攻撃』の、どちらかだろう。 しかしアヤメは『何もしない』という、誰も傷付かない方法を選んだ。 魔物も、花も、自分をも守ったのだ。 アヤメは、地に膝を突いたままのディアに向かって問いかけた。 「ディアさんは、オランと『契約』してるって事ですか?」 だが、その質問にディアが答える前に、オランが口を挟んだ。 「アヤメ」 「はっ、はいっ!!?」 突然、強い口調で呼ばれた事に驚いて大げさな程の返事をする。もはや条件反射だ。 「ディアにも敬語を使うな」 「う、うん……分かった」 オランの一声で、アヤメの敬語口調も封印された。その従順さは見事だ。 「ディアさんは、オランと『契約』してるの?」 再び、口調を言い直してアヤメはディアに問いかけた。 「はい。魔王サマとは契約を結び、主として忠誠をお誓いしております」 つまり『契約者』はオランの方なのだ。 あれ?とアヤメは思い出した。悪魔の『契約の証』って、確か『口付け』だったのでは…? オランと出会った日に『契約』と称してキスされた、あの時の記憶が蘇る。 「ディアさんは契約の時に、オランにキス……したの!?」 「えぇ、しましたね」 「ええええぇっ!??」 アヤメの驚き方が面白くて、オランは声を押し殺しながら笑っている。 「誰も、唇にしたとは言ってねえだろうが」 アヤメは少しホッとしたが、唇以外って…?ほっぺた?おでこ?想像してみるが、それはそれで衝撃である。 「私は、ここでアヤメ様と契約を結びます。魔王サマ、許可を」 「いいぜ。見届けてやる」 ディアはアヤメの正面で片膝を突き、もう片膝を起こして跪いた。 それは、まるで君主に忠誠を誓うような姿で。 「私はアヤメ様の魂に永遠の忠誠を誓います。契約の証を、ここに」 ディアはアヤメの左手を取った。薬指の婚約指輪が、月を反射して小さく光った。 そうして……アヤメの手の甲に、口付けをした。 これが、魔獣との『契約の証』なのだ。 だがアヤメは、難しい事など考えなかった。 今日、初めてディアの本当の姿を知り、心から分かり合えた気がして嬉しかった。 アヤメは少し照れながら、跪くディアの視線の位置まで屈んで微笑んだ。 「これからもよろしくね、ディアさん」 「はい。アヤメ様」 ディアも一瞬、照れたような表情を見せたのは……気のせいだろうか。 こうして、オランと同様に、アヤメもディアの『契約者』となった。 魔獣は契約者となった者を『(あるじ)』とし、絶対服従を誓う。 それは、例えディアが魔獣の姿に戻って自我を失おうと、効果は失われない。 だが……その契約がなくとも、3人はすでに分かり合っていた。 では、この『契約』をした本当の意味とは、何なのだろうか? 「さて、アヤメ。もう夜更かししすぎだ、戻るぜ」 「うん。オランが居ないと眠れなかったの……だから…抱いて?」 アヤメの言う『抱く』とは『抱きしめる』の意味である。 上目遣いで、あまりにも可愛い『おねだり』をする婚約者に、オランは衝動が抑えられなくなった。 場所も構わず、ディアの目も気にせず、アヤメを強く抱きしめた。 今夜はもう、理性を抑えるのは不可能だろう。 「よし、今夜はキスよりも良い事を教えてやるぜ」 「え、今度は何?また新しい習慣?」 「魔王サマ、度が過ぎます!!アヤメ様も喜ぶ所ではありません!」 すかさず、ディアが厳しい口調で二人を制止した。 オランは、アヤメを『契約者』にしたが、ディアの『契約者』でもある。 アヤメは、オランとディアの『契約者』となった。 ディアは、オランとアヤメを『契約者』とした。 魂が存在する限り、契約は永遠の誓いとなる。 ここに、3人の『永遠の絆』が繋がった。 ディアが、アヤメと契約を結んだ本当の理由。 それは、契約時のディアの『誓いの言葉』にある。 『アヤメの魂に誓う』という言葉。 『魂』が存在する限り、例え体が滅びようと、名が変わろうと、契約は永遠に有効なのだ。 それは、いつか訪れる遠い未来の『魂の輪廻(りんね)』の時まで、共に在りたいと願う儀式だった。
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