192人が本棚に入れています
本棚に追加
第6話『白い天使、黒の悪魔』
アヤメの『成長』は目を見張るものがあった。
オランが何も言わずとも、自主的に動くようになったのだ。
それが、まるで『自然の摂理』であるかのように。
朝、オランが目を覚ますと、自分の胸元に触れる温かい存在に気付いた。
アヤメがオランに包まれるようにして、身を丸めていた。
しかもアヤメは先に起きていて、至近距離でオランの顔を見つめている。
アヤメは『朝、起きたら必ずキスをする』という習慣を教え込まれている。
その為、先に目が覚めてしまっても、こうやってオランが起きるのを待っているのだ。
まだ眠いけど寝ないように、重くなる瞼に抵抗して頑張っている。
その、いじらしい姿がとても可愛い……オランはそう思うが、再び瞼が閉じかける。
二度寝しそうなオランに気付くと、アヤメは顔を少し起こして悪戯っぽく笑った。
「おらん、だ~め~…起きたらキス…しないと……ね?」
アヤメは顔にかかる邪魔な自分の髪を手で除けると、さらに顔を接近させて、口付けの体勢に入る。
まだ眠いオランの思考能力は鈍っているが、それはアヤメも同じだった。
アヤメも実は、半分寝惚けた状態なのだ。
「おはよう、オラン……すき」
いつもよりも余分な一言を最後に添えて囁いてから、唇をそっと重ねた。
薄れる意識の中でも、オランはアヤメの柔らかく温かい感触を堪能する。
(やべえ……可愛すぎるじゃねえかコイツ……)
この『半分寝惚けた状態』のアヤメが、一日の中でも最高に可愛いのだ。
「ふふ…オラン起きた?…じゃ、抱いて…」
アヤメの言う『抱いて』は、『抱きしめて』の意味である。
キスで満足したのか、アヤメは嬉しそうに微笑み、再びオランの胸板に顔を埋めた。
ここまで、オランは一度も『自主的に』動いてはいない。アヤメの欲求に身を任せただけだ。
普段は無欲で何でも恥じらう純粋なアヤメが、ただひたすらに自分を求めてくるという快感。
ここまで大胆にアヤメが動けるのは、眠気によって邪魔な羞恥心が捨て去られている為。
まさにオランの願望が反映された姿だ。
もう、このままアヤメの目が完全には覚めなければ良いのに。
そうとまで思ってしまうオラン自身は、逆に目が覚めてしまった。
邪魔な布団を退けると、アヤメに覆い被さった。
「ん……もう一回キスするの……?」
そう言ってアヤメは首を傾げるが、オランの首の後ろに両腕を回して、すでに受け入れる体勢だ。
「あまりに可愛いんでな、ご褒美だ」
「ほんと?……嬉しい……」
そうして、今度はオランの方から口付けようと顔を近付けた。
紫の髪、褐色の肌、深紅の瞳。視界に映る何もかもが愛しい彼に身を任せた瞬間。
ポンッ☆
天井付近から、軽い爆発音がした。
すぐその後に、ドサッ!!と大きな衝撃音が室内に響いた。
「ぐぉっ……!?」
天井から落下してきた大きな何かが、アヤメに覆い被さるオランの背中に直撃した。
オランの体の下にはアヤメがいる為、押し潰すまいと両腕で踏ん張り、何とか耐えた。
「えっ!?オラン、どうしたの!?」
何も見えないアヤメは、何が起こったのか分からない。だが、衝撃で完全に目が覚めたようだ。
「何か乗ってやがるな……」
オランは、背中に重さと生温さと違和感を感じていた。
背中に何かが乗っている。いや、天井から落下してきて、背中に着地したまま動いていないのだ。
「アヤメ、オレ様の背中の上を見ろ」
「あ、うん……」
アヤメは、顔を少し起こして横にずらすと、オランの背中を見て確認する。
そこに見えたのは……
「んー…なんか…小さい子供がいる……」
「あぁ?」
予想外な返答に、オランは気の抜けた声を出した。
その拍子に、オランの背中に居るそれがポテッ☆と柔らかいベッドの上に落ちた。
オランとアヤメは同時に起き上がり、ベッドに落ちた存在に目を向ける。
そこに居たのは、3~4歳くらいの男の子だった。
透き通るような水色の瞳と髪。褐色肌の悪魔とは正反対の色白な肌をしていた。
ただ沈黙して子供を見つめる魔王と少女。
一体これが、どういう状況なのか誰にも分からない。
突然、アヤメが嬉しそうな声を上げた。
「かわいい~~!!」
「いや、そうじゃねえだろ」
すかさずオランがツッコむが、アヤメは聞いちゃいない。
何の疑問も持たずに興味津々で子供の方に近寄る。
「私はアヤメって言うの。あなたのお名前はなんて言うの?」
子供は、アヤメのように純粋無垢で邪気のない瞳を大きく開きいた。
「ボク、リョウだよ」
「リョウくんって言うのね………ん?」
アヤメは、ある事に気付いて、オランの方を振り返る。
「オラン、この子羽根があるよ、白い羽根」
リョウの背中には、白くて小さい、フワフワした羽根が生えていた。
「この子、鳥さんかなぁ?」
一人で想像を膨らませるアヤメに、オランは溜め息をついた。
今、問うべきは名前やら何やらでなく、この子供が何者で、なぜ天井から降ってきたのか。
何よりも、アヤメとの朝の時間、一番いい所を台無しにされたのだ。
テンション高めのアヤメとは裏腹に、オランは少々腹を立てている。
「いや、どう見ても天使だろ、このガキ」
「てんし?なにそれ、妖怪の一種?」
悪魔や天使に馴染みのない村娘のアヤメは、人外を何でも妖怪だと思ってしまう傾向がある。
リョウはベッドの上を這うように移動して、オランの背中に回った。
そして、心配そうにしてオランの背中を見回す。
「ごめんね、お兄ちゃん、痛かった?」
リョウは、オランの背中に落下した事を謝ったのだ。
リョウはオランの大きな背中に向かって、小さな両手を広げた。
「いたいの、とんでけー」
それが呪文なのか、そう唱えた直後に、リョウの手から光が溢れ出た。
「えっ!?リョウくんの手、光ってるよ!?」
アヤメが驚きの声を上げるが、同じくオランも驚いた様子だった。
背中に感じる温かい癒しの力。
「これは…回復魔法?こんなガキが使えるはずは……」
力を使って疲れたのか、リョウは突然、ポテッ☆とオランの後ろで倒れた。
「リョウくん、大丈夫!?」
アヤメは急いでリョウを抱き上げる。
リョウばかりを心配するアヤメを見て、オランは不機嫌極まりない。
「まったく面倒だぜ。天界に連絡してやるから、とっとと帰りやがれ」
すると、リョウがハッとして顔を上げた。ぎゅっとアヤメにしがみついている。
「やーーだーー!!」
大きな瞳に涙を一杯浮かべて突然、駄々っ子になった。さすがのオランも怯んだ。
「ヤダじゃねえよ、さっさと離れろ、このガキ……」
「や~だ~!!帰らない!!」
「オラン、だめ!!ごめんね、こわかったね~……」
あの従順なアヤメが、オランを強く制止した。しかも『こわい人』呼ばわりされて、オランはさらに怯んだ。
まったく、女っていうのは子供の前だと、こうも強気になるのだろうか?
初めてだらけの状況と乙女心の不可解さに、オランは反論する術がなかった。
どうやら、リョウはアヤメから離れたくないらしい。
アヤメの手にかかれば、扱いの難しい魔獣も子供も簡単に懐いてしまうのだ。
……もちろん魔王も、である。
最初のコメントを投稿しよう!