【最終選考】土曜日の朝の匂い【落選作品】

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 盛岡市で同性パートナーシップ条例が施行された。東北地方で初めての施行であった。その月の条例適応申請の数はレズビアンカップル一組とゲイカップル二組の計三組だったという。家族として振る舞おうとすれば養子縁組しかなかったこれまでを思えば、非常に進歩したものだった。  東北初の条例制定のニュースは東北全土でそれなりの重みと驚きを持って報道された。施行の折も、県民の反応や当事者の声などが連日報じられていた。いずれも市に多くの意見が寄せられたが、当事者からの意見はほとんどなかったという。同条例は性的マイノリティの政治家や活動家の働きかけによるところが大きいと言われており、当事者とはいえ一般市民から声が上がりにくいことは肯けた。  瀬尾賢史も性的マイノリティの一人だったが、市に意見することはなかった。ゲイというアイデンティティを下地に生きてきたものの、条例が制定されるずっと前からそういうものとは無縁に生きていくだろうと思っていた。当事者ではないかのように、条例の効果効能を傍観するつもりだった。盛岡に暮らして五年になるが、カミングアウトするわけでも近場で仲間を探すでもなく静かに暮らしてきた。だからその生活の中に、遠距離とはいえ恋人の存在があることは稀有なことだという自覚もあった。
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