【最終選考】土曜日の朝の匂い【落選作品】

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 風呂上りにビールを飲みながら、恋人と一時間ほどテレビ電話をするのが彼の楽しみだった。施行を迎えた今夜ももちろん酒を酌み交わしていた。  恋人の市川駿太郎はアルコールに弱いのに飲みたがる。サンゴー缶を一本開けないうちに頬を赤らめる。ここ数日ローカルニュースはそのことばかりだと伝えると、豪傑のように笑ってだろうなと言った。田舎だから同性愛者なんか架空の生き物だと思っていそう、自分のそばにはいないと思っていそう。そんなことを言いながらスルメをかじっている。そして音割れがするほど息を荒くして、だが施行されたのは羨ましいと言った。地元では横浜市など四つの自治体が条例を施行しているものの、故郷の街にその動きはないという。だから認められるということがとにかく羨ましいという。  電話口で何度もいいないいなと繰り返すが、賢史は賛同できなかった。その街でしか認められず法的拘束力はない。特定の自治体でアイデンティティを認めてもらうというのもおかしな話だし、他人に認知され祝福してもらいたくて付き合っているわけではない。黙ったままでいると、駿太郎は二人がけソファの真ん中で背もたれに身を預けた。
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