事故物件

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 どうもお忙しいところを有難うございます。はい、こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。どうぞお乗りください。あ、シートベルトをお忘れなく。はい、では出発します。  今日はよく晴れていいお天気ですね。ええ、本当に良かったです。やっぱり天気が悪いと、どうしても気分も沈みがちになりますよね。お客様の気持ちが沈んでると、何となく考え方も後ろむきになって、お金の使い方も渋くなりますからね。そうなるとこっちの商売にも差支えが出ますから、えへへ。いやいや、どうも有難うございます。  商売のほうですか?まあ、おかげ様で私と家族の食い扶持ぐらいは何とか確保してますけどね。全体としては、決して明るくはないですよねえ。ええ、やっぱり厳しいです。結局は、抜け目の無い、強かな奴は上手く立ち回っていくけど、お人よしじゃあ生き残っていけないんですよね。まあ、どんなお仕事でもそうでしょうけど。  え、何か面白い話……ですか?噂話とか裏話みたいな?そうですねえ……  こんな都市伝説をご存知でしょうか。  ここ数年、不動産業界で、いわゆる事故物件、心理的瑕疵物件てやつの価格が少しずつ上昇しているっていう話があるんです。  事故物件って、今では誰もが当然のように使ってますけど、要するにそこで人が死んだ土地や建物のことなんです。ええ、ご存じですよね。で、常識的に考えれば、そういう物件に住みたい人はいない筈で、そんな物件は当然売れないわけだから、価格も低く抑えられてしまうのが普通ですよね。アパートであれマンションであれ、そういう物件には、普通は借り手がつきません。仮についたとしても、家賃は相場を大幅に下回る額でしか契約できないですよね。どう考えても投資対象としては最悪なもので、そんな物件を好き好んで買うようなオーナーも、いない筈でしょう? 仮にいたとしても、安い家賃収入しか入らなくても十分にペイ出来るだけの金額しか出せないというのが、まあ、常識ですよね。  ところが、最近は少々事情が違うらしいんです。  幽霊や心霊現象みたいなものの話、所謂“怖い話“って、今では一定のファン層がありますよね。怪談本や怪奇現象を扱った媒体、テレビやネットで配信される様々な“怖い話“系のコンテンツは、相当多くの人の視聴を集めています。さらには、事故物件に住むこと自体を芸にする芸人さんなんかも、もうとっくにブレイクして人気者になってますしね。それとか、全国各地の事故物件を、その背景や写真と共にマップ上に表示し、検索できるようにしたサイト、ご存知ですよね。ああいうのも、今やみんなが当たり前のように知っていて、毎日多くの人が自分の近所や、あるいは全然関係の無い場所についても興味深げに物件情報を覗いているわけですよ。事故物件って代物は、もはや社会の中に、それもエンターテインメントの分野に、しっかりと居場所を確立してしまったとも言えるかもしれませんね。  こういう時流に乗って、事故物件という言葉の持つイメージもだんだん変化してきました。人が死んだということ、そこでどす黒い血が床に川を作り、数千匹の蛆虫がうじゃうじゃくねくねと蠢き、毛穴の中にまでこびりついた異臭は何度風呂に入っても抜けない……そんな現実も、実際にその場にいなかった人々にとっては、単なる“興味”を掻き立てる情報のひとつに過ぎないんです。凄惨な死の現場という概念は、もはや嫌悪の対象から興味と興奮の対象へと変わってしまったわけです。“えっ?山田君て事故物件に住んでるの?すごーい!”“すげーだろ。今度俺の部屋でパーティやろうぜ”“うん、行く行く!”てなもんでね、へへ。それは街中に有って、簡単に訪問できる心霊スポット、あるいは犯罪スポットであり、そしてそういう話に興味を持つ人々が集まって楽しむための場所、要はスリリングスポットとも言うべき場所なんです。  そもそも、念入りな特殊清掃と徹底したリフォームのおかげで、事故物件と言っても、物理的な使用上は全く差支え無い状態にまで修復されてます。結局、人間が生活するための機能を持った場所と言う意味では、事故物件もそうでないものも、事実上全く差異は無いんです。その上で、事故物件には更に、スリリングスポットという”付加価値”が付いている、だから通常の物件よりも寧ろ高く売れてしかるべきである、という考え方をする人が出てくるわけですよ。もし値上がりが見込めるなら、他人が気づかないうちに押さえてしまおう。こういう考え方から、事故物件について、少々高くても買う、という動きをする人が一部に出始めたんです。さあ、そうなると相場というものは売りが売りを呼び、買いが買いを呼ぶのが常ですから、近年、本当に事故物件の相場が上昇し始めたというわけです。それも、より多くのより凄惨な”人死に“が発生したものほど、その付加価値は高くなる筈だ、という考え方も出始めて、誰でも知っているような大きな事故や凄惨な事件があった物件ほど値上がり率は高くなっているそうなんです……  はい、着きました。ここに車を停めます。はい、どうぞお降りください。ええ、ここから歩いてすぐです。  でね、さっきの話なんですが、最初に言ったように、あれはあくまでも都市伝説なんです。リアルの世界では、そんなにうまくいく筈はありません。結局、事故物件はあくまでも簡単には売れない、厄介ものなんです。  何故はっきり断言できるのかと言えば、ご覧のとおり、私自身がまさに不動産業でメシを食っているからですよ。しかも実際に事故物件に関わったこともあるんです。  実は数年前、私が所有していた分譲マンションの一室で、自殺者が出たんです。ったく、風呂場で手首なんか切りやがってねえ。しかも親戚も友人もいないような暗い奴だったから、三週間も経ってから発見されました。それも八月にね。どうなってたかは想像つきますよね。都会のど真ん中で、あんなに沢山の蠅を見たのは初めてでしたよ。それにあの臭い……ま、詳しくは申し上げませんけどね、へへ。  当然その部屋の価値は大きく下がっちまいました。大損害ですよ。だから、私としては、少しでも高く売りたいと思ったわけです。このままじゃどうしても引き下がれない。納得できませんでした。だから、ダメ元で噂を流してやったんです。それがさっきの話、事故物件の価格が上がってるって噂ですよ。ええ、実は私が発信元なんです。噂が独り歩きして、少しでも事故物件の相場が底上げされれば御の字だと思ったんです。  そしたら、実際にそれを本気にする同業者が出て来ましてね。そいつは私とも長いつきあいでしたが、ある同業者仲間の懇親会の席上で、たまたま席が私の隣だったんで、思い付きで例の噂を話してみたんです。そしたら、予想外に彼は私の話に食いついて、本当に事故物件に興味を示しました。だから、私の方から例の物件を“譲って”やったんです。”長い付き合いだから安くしとくよ“とか言ってね、ひひ。喜んでましたよ、そいつ。将来の値上がりを見込んで購入したわけですが、まずは相場に見合った形で安い家賃を設定して、とりあえず入居者も入りました。  だが、当然のことながら、事故物件の相場はいつまでたっても上がらない。結局自分はドジを踏んだんじゃないか……だんだん焦りが出て来たそいつは、とうとう変になっちまって、この事故物件は本来もっと高い価値があるんだから、家賃を倍にしろ、と入居者に要求し始めたんです。それも更新の時期でもないのに、いきなりね。無茶苦茶な話でしょう?相手にしてみれば訳の分からない話で、そりゃあ、もめますわ。さんざんトラブった挙句、ある日突然乗り込んでいって、入居者が扉を開けた途端、いきなり包丁でぶっ刺したってんだから、まあ、相当おかしくなっちまってたんですねえ。そう、ニュースでも報道されたからご存知かもしれませんが、不動産屋が自分の物件に入ってる店子をいきなり刺し殺したっていう、例の事件ですよ。逮捕された時も「これでこの部屋で二人も人死にが出た。これは凄い付加価値だぞ」とか言ってゲラゲラ笑ってたそうです。  少々お待ちくださいね……はい、どうぞ。  でね、その後どうなったかといいますと、結局そいつは心神喪失状態だったということで無罪になりました。被害者の方には本当にお気の毒な話でしたねえ。ええ、まったく世の中どうなってるんでしょうねえ。それはそれとして、奴はそのまま精神病院に措置入院させられたんですが、どうもセキュリティの甘い病院だったみたいですね。ある晩、そこを抜け出すと、因縁の部屋までやってきて、そのままそこで首を吊りました。まったく、最後まで人騒がせなやつでしたよ、ええ。  そいつは独身で、不動産業の経営を引き継ぐ家族も親戚もいなくってねえ。同業者仲間で弁護士なんかも入れて話し合った挙句、彼の持っていた物件については、当面の間、私が管理を受け継ぐことになりましてね。そう、例の事故物件なんかも、押し付けたつもりが、結局戻って来ちゃったわけです。全くいい迷惑ですよ、ひひひ。  ええ、そうです。ここがまさにその物件なんです。  どうです、いかにも部屋全体に因縁が染み付いたような雰囲気があるでしょう?丁度今お立ちになっている場所のすぐ真上の梁、ええ、あそこです。そこに奴は首を吊ってぶらぶら揺れていたんですよ。  それと、ほら、そこの玄関の床の隅、うっすらと黒っぽい染みが有るのが分かりますか?それは、あいつに刺された入居者が流した血液の跡らしいんですよね。ここだけは何度特殊清掃をかけても、どうしても消えなかったんです。  これだけのことがあったんですから、”付加価値”の方も相当高い筈ですよ。ね.そうでしょう?是非ご検討ください。とりあえず、最初はお安くしておきますから。ひひひひひ…… [了]
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