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事の起こりは昨日の朝早く、汚らしい襤褸を纏った1人の浮浪者が大きな袋を守衛の警察官コッホとルエーガーに押し付けるように渡したことから始まる。浮浪者は袋を渡すと呆気に囚われた2人を尻目にのろのろと彷徨うように行ってしまった。彼らは不満をぼやきながら袋の中を開け、人の首の影を認めて悲鳴をあげ、中の警察官に取り次いだ。
大勢で中身を改めると袋から現れたのは生首ではなく、大理石で出来ているらしい女神の胸像で有った。しかしその女神像にはその神々しさには相応しくない赤黒い血痕が付着していた。それも夥しい量の血痕だった。これが流血事件の側に置かれていたことは明らかだった。それどころか殺人事件かもしれないのだ。
ヘルツ警部はその女神像を置いていた部屋に入った。一階の、日の当たらない部屋を充てられたそこは捜査中の証拠物品が箱ごとに入れられ、保管されている。部屋は殆ど荒らされていない。女神が現れたのは昨日だし、彼女は大きく目立っていた為、侵入者はそう手間をかけずに盗むことが出来た筈だ。
「……盗まれたものはあの女神像だけなのか?」
「今のところ、失くなったものは無いようです」
ヘルツ警部は少し考え込んだ。「……ハルトマンの容態はどうなんだ?」
ヒューゲルが首を振った。「他の警官と家族が付き添っていますが、意識が戻ったという報告はまだ入ってきていません」
「そうか……」ヘルツ警部はぎりりと唇を噛んだ。ウィーン警視庁内に押し入ることすら大胆不敵な犯罪なのに保管してある証拠品を盗み出し、見張りの警官にまで危害を加えた。しかも誰かを殺していると断言できる証拠がある。許し難いことだ。カール・セリンジャーもこの犯罪人なら堂々と絞首刑を行うことを辞さないだろう。
「ヒューゲル、此処まで罪を重ねる奴はさらに罪を重ねることを歯牙にもかけまい。罪の連鎖は止めなければならない」
「……はい、警部」ヒューゲルが返事したその時、息を切らした警察官が現れた。
「ヘルツ警部! ハルトマンの意識が戻りました!」
それを聞いたヘルツ警部は顔が緩むのを抑えきれなかった。
「わたしはハルトマンのところへ行く。ヒューゲルはコッホとルエーガーの証言をもう一度洗い流し、ウィーン警視庁付近を徹底的に調べ上げるんだ」
ヒューゲルが呻くのを尻目にヘルツ警部は帽子を被り直して部屋を出た。
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