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30分後、ヘルツ警部とヒューゲルはヘルツ夫人レオノーラ特製のフィアカーグラーシュに舌鼓を打っていた。ヒューゲルはレオノーラとの付き合いも長くて信頼も厚い。レオノーラもヒューゲルを甥のように可愛がっており、故郷を思い出させるリンツァートルテが好物であることも知っていればファーストネームで呼ばれるのを嫌っていることも知っている。そしてヒューゲルを家庭内に連れて来る時は、自分は配膳を終えたら直ちに席を外さなければならないことも承知している。
「よし」とレオノーラの足音が完全に聞こえなくなったのを聞き届けたヘルツ警部は指示を受けようと構えるヒューゲルの方を向いた。「ヒューゲル、人探しをやって欲しい」
沈黙が降りた。それは指一本動かすのも場違いになりかねない、気まずい沈黙だった。
「……はい?」とヒューゲルは絶句した。
「ただの人探しじゃないぞ。ここ1週間から3日の間に行方が知れなくなったか何処か遠方に行った上流階級の人間と、一昨日か昨日に実家に帰っただとか暇を貰ったとか言って急に姿を消した下級労働者か使用人だ。こちらは出入りの業者でもあり得るが、彼らの可能性は低いな……。それで最後が肝心だが今週胸像を作って欲しいと依頼を受けた彫刻家、または工房を探し出すんだ。こちらは該当するものがなければ構わない」
「胸像を探すんじゃないんですか?」とヒューゲルはまた絶句した。
ヘルツ警部は首を振った。「盗んだ胸像はもう破壊されているか埋められているだろう。それを今から探すのは時間を無駄遣いするようなものだ」
「では、今警部が仰ったのは……」
「前者は彼女が浴びた血の持ち主、後者は彼女を落とし物と称してウィーン警視庁に届け出た人間だ。そして犯人はハルトマンを気絶させて彼女を盗んだ殺人者だ……それは分かるだろう。今言ったのはその彼らの身分だ。……全然納得していないな。きちんと聞かせてやる。ほら、ヒューゲルもコーヒーぐらいは飲め」とヘルツ警部は勧めながらポットから自分のコーヒーを注ぎ入れ、ミルクを混ぜた。呆気に囚われたヒューゲルも慌ててそれに倣う。しばらく無言が続く。先とは違って気まずさは無い。まるでヘルツ家では無く、静かなカフェにいるような心持ちになる。
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