0人が本棚に入れています
本棚に追加
本編
道端で【地球】と刻印された鍵を拾った。
そういえばあそこに謎の鍵穴あったな、と思い出し、いつも通る道を一本入って裏路地に出向く。
「あった」
行き止まりの壁、そのすぐ足元のアスファルト舗装された道に、小さな穴が空いている。
ともすれば見逃してしまいそうなその穴は、良く見ると様々な場面で見かける“鍵穴”の形をしている。と気付いたのは、煙草を喫える場所がないかとこの場所訪れたときだった。
鍵が入ったところで回るかわからないし、回ったところで何か起こるわけでもない。と思うが、好奇心は抑えられず、どこかワクワクしてしまう。
指先ほどの小さな鍵をつまんで、地面の鍵穴に差し込む。あつらえたようにピッタリとフィットした鍵に力を加えると、少しの抵抗感を指先に及ぼしながらそれは時計回りに回転し始めた。七割ほど進んだところで一旦指を離して持ち直し回転を再開させると、鍵はぐるりと一周した。
――ガチャリ――
どこからか開錠の音が聞こえると同時に、それまで射していた陽の光が消えた。
「え?」
足元に落ちていた影は、暗闇に飲まれ消えている。
慌てて上を見上げると、割れた青空の真ん中から黒い夜空が覗く。その“隙間”がゆっくりと広がっている、ように見える。
「えっ、えっ?」
立ち上がり、辺りを見回す。
青空全体が割れて街全体に影が落ち、いまにも夜が訪れそう。見えている景色が幻覚ではないか、誰かに確認を取りたいが周囲には人どころか虫すらいない。
いま回した鍵と上空の変化に因果はあるのだろうか。
慌てる気持ちとは裏腹に、どこか冷静に考えていると
「あー! ちょっと! 勝手にダメですよ!」
小さな子供の声が、明らかに自分を咎めるために背後から飛んで来た。
なにかの漫画やアニメで見るような不思議なデザインの“中華風”服に身を包んだ子供が、どこから現れたのか慌てたように駆け寄る。
「あーあー。一気に回すから~」
空と地面を交互に見ながら呆れ顔を見せ、壁のすぐそばにしゃがみ込んだ。
服の袖に隠れた手先で器用に【地球】鍵をつまみ、反時計周りに回し、空を見上げる。
つられて上を見上げると、夜空に変わろうとしていた青空の隙間がゆっくりと閉じていく。
「……なに…それ……」
空とは逆にぽかりと半開きになった口から出た言葉に、子供は立ち上がってペコリと頭を下げた。
「拾っていただいたことには感謝いたします。ありがとうございます。いまからお話するのはそのお礼の一環なので、他言無用でお願いします」
やけに大人びた口調で、笑顔の子供が話を続ける。
「この鍵は空の管理をする装置のものです。天候や昼夜を変更、調整するために使われます。これは地球用で」と右手を掲げた。「これらは他の星のもの」次に左手。
袖から出た小さく細い手首には、【地球】鍵と同じサイズの鍵がジャラジャラとついたキーリングがブレスレットのように装着されている。
「そして、私はそれを司る、空の管理者です」
きょとんとするこちらを余所に、子供は【地球】鍵を手首のリングに押し当てた。カチリと音がして鍵束の一員に戻ったのを確認し、言葉を続ける。
「キーリングがちょっと緩くなってたみたいで、落ちちゃったんですよね。見つけられず困っていたので本当に助かりました。まぁ、鍵穴の位置を知ってるとは思いませんでしたけど」
苦笑交じりのその言葉には、少しの皮肉が混じっているように聞こえる。
「普通の地球人には見えないものなんですけどね、鍵も、鍵穴も」
「え」
その反応に子供はニヤリと笑った。
「鍵はただの金属片に、鍵穴はたまたま空いたただの穴に――そういう風にできてるんです」
「なにが」
「世界のー、理が?」
漠然とした説明に自分でも疑問があるのか、子供は小首をかしげつつ回答した。
「……そうなんだ」
理解の範疇を越えた話に、脳の処理がついていかない。しかし、こいつ何言ってんだ、と思わないのは、空の急激な変化を目の当たりにしてしまったからだ。
「段階を踏んで回せば、普段通りに陽が落ちて、月が登る。また月が落ちて、陽が登る、という普通の変化が起きます」
その言葉に、思わず空を見上げた。
「私と別れたあともいまのお話を覚えていられたら、あなたにも管理者の素養がありますよ」
続いた言葉に今度は子供を凝視する。
「まぁ、現世を定年退職なされたら会いに伺いますので、一度お話させてください」
では。と言い残して、子供はパッと消えた。その場に残ったのは、キラキラときらめくダイヤモンドダスト。
夢か現実か。
夢だとしたら相当にメルヘンチックだし、現実だとしたら相当に想像を超えた出来事で、どちらにせよめまいがしそうだ。
ゆっくりと壁際に歩を進めると、鍵穴はまだ、そこにあった。
そこに、見えている。
「素養……」
ぽつりとつぶやいたその言葉は、先ほどまでの出来事を覚えている証拠だ。
とりあえず、現世での役目を終えたあとの仕事は確保できたようで、どこかで、なんとなく安心してしまう。
仕事をしないと生きていけない世界なのかわからないけど。いや、多分もう、そこでは生きてはいないだろうけど。
ちょっと良くわからなくなって、ポリポリと頭を掻き、その場を離れる。
いつもの見慣れた帰り道が、少し違って見えているような気がした。……ただの気のせいかもしれない。
end
最初のコメントを投稿しよう!