FORKER

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 豊島徳美との出会いは、新本に誘われて行った居酒屋だった。店員に案内されたテーブル席につき、最初の飲みものを注文。僕がメニューをめくっていると、新本が声をかけてくる、と言い残して席を離れた。  目で追いかけると、カウンター席の端に座る女性の肩をたたいていた。ハイボールのジョッキを片手に持つ彼女のテーブルには、お通しとノートパソコンが置かれている。まだ冬の寒さ真っ盛りの三月中旬だったこともあって、長そでの黒パーカーを着ていた。椅子の背もたれには、黒いコートがかけられている。  新本は肩をたたいたときにはすでに笑顔だったが、女性は見上げたときからにこりともしない。むしろ肩をたたいた人物を認めたときには片眉が寄ったし、ヘッドホンを片手で外すしぐさも乱暴だった。メニューに戻る。厄介ごとには最初から距離を置いた方が賢明だ。注文の選別を終え、裏表紙を閉じたところで友人は戻ってきた。 「川北、紹介する」  顔を上げて、ぎょっとする。テーブルの横に遠目で見た人物が立っていた。先ほどまで耳を塞いでいたヘッドホンは、首にかかっている。 「豊島徳美。俺たちの一個下だ」 「よろしく」  返す言葉が見つからなかった。正確には、思考を奪われて反応ができなかった。たった四文字なのにしっかりと芯が通っていて、透き通った声音。今までに聞いたことのない声質だった。  豊島は、同じ大学の心理学部に在籍していた。新本とは同じサークルに所属している。小説サークル。 「豊島は、俺と違って書く側だ」 「へー、どんな話を?」 「幻想小説、とでも言うのかな」豊島の色素の薄い目が泳ぐ。「ねえ、呼ばれたからきたけど、席がないなら戻ってもいい?」  あっ、ごめん。気がついたときには口走っていて、隣の椅子からリュックをどかしていた。すると豊島は小さく笑い、ここは新本が、ソファ席の半分を空けるべきなんじゃないの。意見しつつも隣に座った。通りすがりの店員に呼びかけ、席を移動したことを告げる。ついでに新本が何品か注文した。 「川北――さんは、読書をするの?」  返事に詰まった。小説と自発的に向き合うなど、読書感想文の宿題があったときくらいなものだ。小説よりも映画の方が眠くならないし、内容が頭に入ってくる。けれどここで本音を言ってしまうことにためらいがあった。 「しないぜ、こいつは」  しかし、先に暴露されてしまった。目を遣ると、眉を上げて肩をすくめた。 「そうなんだ」半分以下になっているジョッキをあおる。唇を離すと横から氷以下になったハイボールを眺める。「じゃあ、幻想小説なんて言っても通じないし」ジョッキを置く。「興味もないね」  まずい。さっと身体がこわばるのを感じる。認めてしまうべきだった。活字嫌いが小説に興味などあるはずがない。だが真っ向から突っぱねるのは、抵抗があった。厄介ごとというものは、はっきりと否定的なことを言うことが火種になるケースが多い。特に無愛想で人にこびないタイプは、火種に油を注ぎ雰囲気を悪くする傾向にある。もっとも彼女がそのようなタイプであるとは限らない。だが、面倒だ。 「確かに通じないけど、興味はあるよ」  豊島が横目を向けるのと、店員が卵焼きを運び込むのはほとんど同時だった。
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