FORKER

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 翌日には四月になり、一週間が経ったところで大学三年生になった。  ガイダンスを受けて、卒業に必要な残りの単位を計算。必修科目をピックアップし、選択科目を文字通り選択する。二年次に八単位を落とした。来年は就活であることを考えると、今年中に取れるだけの単位を確保するべきだ。 「社会と映画ってやつ、楽単なんだってよ」去年同じゼミだった水際も、時間割りに苦戦しながら誰にともなくこぼす。「ただ映画観てるだけだって」 「マ?」新本が食いつく。「って、うわーっ、ゼミとかぶってんじゃん。ふざけー」 「えっ新本、ゼミ変えんの?」 「まあなー。やりたいことあるし」 「やりたいこと?」思わずスマートフォンから顔を上げて口を挟む。「何したいの」 「ん?」一度目があったが、すぐに手元に落ちた。親指がせわしなく液晶画面を滑る。「まあ、なんだ。異能病関連の仕事がしたいんだよ、俺は」  一瞬、言葉に詰まった。「異能病って」 「そっ。正式名称、突発性特殊能力症候群」  そんなことは知っていた。過去の身体的及び肉体的な苦痛により、人智を超えた「症状」を得てしまう病気。症状はそれぞれによって異なるらしい。現在、異能病患者を差別する傾向や、異能病患者が症状を使って罪を犯すなど社会問題の中心になっている。  意外だ。率直に感想を漏らすと、何言ってんだよ、俺がここに入った理由なんだぞ。含み笑いで異議を申し立てられる。へえ、とあいまいな反応になってしまった。二年間でなんだかんだつき合いはあったが、将来の話などしたことはない。あまり自分の将来について考えたことがないからかもしれない。  とはいえ、この際に深掘りする気も起きなかった。もっと違うことであればまだしも、異能病の患者は実は身近にいたりすると言われている。表面上は普通の日常生活を送っているが、得体のしれない症状を抱えてばれないように生きている。実際に見たことはないが、言われているくらいなのだからいるのだろう。新本は実際に見たことがあるのかもしれない。社会問題に目を向けられるのは、自分ごとに置き換えられる人間だけだ。そして自分ごとに置き換えられるならば、何かしら過去に異能病関連のできごとに巻き込まれている可能性が高い。  首をつっ込めば、厄介な話を知ることになる。それはひたすらに、面倒だ。 「まっ、だからって大志を抱いてなんてたいそうなもんじゃねえけど」乾いた笑みで吐き捨てる。一瞬だけ視線が上がったが、何を見たのかはわからなかった。「お前らは変えないの?」 「変えなーい。キタは?」 「変えないけど、社会と映画ね」時間割アプリに書き込む。 「あ、キタ、取る? じゃあ一緒に受けよ」  水際とは、結構な確率で顔を合わせるようになった。ゼミは特に生徒側からの希望がなければ二年次からの繰り上がりだし、できるだけ楽に卒業をしたいと考えている人が選ぶ講義には傾向がある。そしてその情報の大半は、水際からもたらされたものだった。  対して、豊島とは大学で話すことがほとんどない。姿を見かけることは――あるといえばある。食堂で見かけることもある。 しかしながら、豊島の周りには必ず誰かがいた。それはたいてい決まった顔なのだけれど、まったく知らない顔であることも少なくない。本当にごくごくたまに、意図せず目が合うこともある。一秒も待たず、逸らされるから本当は視界に入っていないのかもしれない。どうだろうか。  今までの僕であれば、ちょっとした自己嫌悪に陥るところだった。だが不思議と、豊島に対しては不安がなかった。理由はわからない。居酒屋の帰りに、連絡先の交換を申し出たのが彼女からだったせいかもしれない。話の流れで豊島が書いている小説の原稿を送ってくれることになった。  活字離れの進んだ大学生にとって、原稿用紙百枚分のデータと聞かされたときは頭を抱えた。読めるわけがない。さほど酔っていなかったはずなのに、どうして正常な判断ができなかったのだろうか。何か理由をつけてしまおうか。ぐるぐると思考をめぐらせていると、一ページ分読んで面白くなかったらやめればいい。まっ、豊島の小説に限ってそんなことはないけどな。新本の助言で、腹を据えた。  ちょうど小説を読み終わった頃、豊島から連絡があった。  気が乗るのなら、飲みに行くのにつき合ってほしい。  豊島が指定した居酒屋は、初めて出会った場所だった。すでに中で待っているという彼女は、店内奥のテーブル席でノートパソコンを前にしていた。お供は生ビールだ。ジョッキの半分まで減っている。 「どのくらい飲んだの」  テーブル越しに第一声を上げる。 「さあ、三杯目かな」ノートパソコンを閉じる。「君は必ず私を――」  何を、言っているんだ。あり得ない発言だった。だがはっきりと一本の軸を持った言葉は、どこから衝撃を与えてもブレることがないように感じた。きちんと聞き取ったという事実を受け止めるには、重い。たった一言。自分よりも年下の発言なのに。きっと、はたから見ればなんてこともないようなものなのだろう。  途中から、周りの話し声や流行りの音楽が豊島の声を奪ったことにした。 座りながら、訊き返す。するとかすかに片眉が寄り、瞳が揺れた。ごめん、もう一回言って。慌てて今度はもう少し声を張る。 「いいや」小さく首を振った。「活字嫌いの川北さんが、私の小説を読んだわけないよね」  僕は返事に詰まった。正確には、ためらった。だがすぐに、小さな予感を奥底にしまう。 「読んだよ」
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