魔女のいるパン屋

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 上京したからにはとりあえず有名どころに行ってこなれようと試みたが、まさにそれはお上りさんの思考だった。  住みたい街ランキングで例年上位にランクインする吉祥寺の通りを、素知らぬ顔で闊歩するのが都会の人間というものなのである。  もともと、流行り者には興味の薄い凛弥だ。大学生活を始めて数か月もすれば、大学と、近所のスーパーとコンビニと、何件かの弁当屋とパン屋と、井の頭公園近くの道場が、主なテリトリーとなった。  ハモニカ横丁には、地元宮城の友人が遊びに来て「行きたい!」と言われた時に案内する――そんな機会にしか足を踏み入れなくなった。  しかし本日は、その雑多なストリートを凛弥は歩いていた。大学構内の道場での稽古のあと、サークルメンバーの和樹の家に立ち寄ったのだ。  彼が前々からおすすめしていた、全三巻の少年漫画を受け取りに。  明日大学に持っていこうか?と和樹に提案されたが、本日日曜の午後は、何も予定がない。  ワンルームでスナック片手に漫画を読んでダラダラするという、至高の時間を凛弥は過ごしたかったのである。  生まれた時から吉祥寺に住んでいる和樹の実家は、ハモニカ横丁から少し外れた場所の一軒家だった。そこから凛弥の自宅までは、横丁を突っ切るのがもっとも近道だった。  ――腹が減ったなあ。  ハモニカ横丁が終わりに差し掛かった頃。ふと強い空腹感に凛弥は襲われた。きっとそれは、不意に漂ってきたやたらと香ばしい匂いによって促されたものだろう。
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