魔女のいるパン屋

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 匂いの出所に目を向ける。猫のシルエットの隣に「ベーカリー・ソルシエール」とゴシック体で描かれた看板をかけた、こじんまりとしているパン屋が凛弥の目に入った。  ――ソルシエールってどういう意味だっけ。  第二言語として履修しているフランス語で聞いた覚えがあるけれど、意味は思い出せない。  ベーカリー・ソルシエールのガラスの自動扉の向こうには、オープンディスプレイの形でさまざまな種類のパンが陳列されていた。  幼少の頃の境遇から、パンに目がない凛弥は迷わずに入店した。  無垢の木の床に、オレンジがかった白熱灯の電球。店内はどこか懐かしく落ち着いた空間だった。  だが、様々な種類のパンが乗った陳列棚やパントレイは木製で統一されており、ナチュラルなトレンド感もあった。  それぞれのパンの前に立てられた札には美しい手書き文字でパンの名前と値段が書かれている。また、主な原材料とアレルギー表記まで記載されていて、親切さも感じられた。  まだ凛弥はこの店のパンを味わったわけではない。だが店内を一瞥し、「あ、これはおいしい店だ」と確信した。  内装だけでも店主のディテールまでのこだわりが随所に見られるのだから、パンも相当練りに練った製法で作り上げられているに違いないと思わされたのだ。  そして凛弥は、適当に三つパンを選び、ダージリンティーと一緒にイートインスペースで味わうことにした。  テーブルと椅子も、素材は柔らかな雰囲気のある木材で、初めて訪れた店にも関わらず、妙な懐かしさを凛弥に与える。  それで、ひと口ミルクティーブリオッシュを齧った瞬間。懐かしい記憶が蘇ったのだった。  両親共働きで、鍵っ子だった小学生時代。「ひとりで寂しい」なんて、よくある家族ドラマのいたいけな子供のような気持ちになったことは無い。  ゲームはやり放題、漫画も読み放題、宿題を早く済ませろなんて小言も言われない。子供らしい自由を最高に謳歌していた。
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