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まあ、忙しいなりに両親がちゃんと凛弥を愛してくれているという素振りがあったからこその余裕だったのだろう、と今となっては思う。
何より、凛弥には楽しみがあった。高学年になった頃だ。テーブルの上に五百円玉が置いてあり、夕飯を好きに買える日があった。
その時に決まって向かったのが、近所のパン屋だった。不愛想な初老の店主からは想像できないほどの、柔らかく、優しく、ひと口噛んだだけで幸福感に満たされるパン達が、その店には並んでいた。
一緒に食べる相手がいなくても、皿やカトラリーがなくても、出来立てでも冷めていても、パンはいつだって、どんな場所で食べたって、おいしかった。
そんな経験があるためか、凛弥はパンを完璧な主食だと思っている。まあ、日本人の遺伝子がさせるのか、ご飯ももちろん好きだけれど。
その懐かしい味を、ふらりと入った吉祥寺のパン屋はなぜか思い起こさせてくれた。一体どうしてなのだろう。
単純に味が絶品ではあったが、おいしいだけのパン屋ならば他にもある。しかしなぜか、過去の記憶を蘇らせたのは、ここのパン屋だけだった。
ふと気になって、店内を見渡してみる。――すると。
「加賀見ちゃん! ありがとうね」
先ほど凛弥の会計をしてくれた店員が、常連らしい中年の女性に話しかけられていた。視線をレジに落としていた店員は顔を上げると、にこりと微笑む。
会計の際は、空腹のせいかこれから食べるパンのことで頭がいっぱいで、店員のことを気に止めてなかった。
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