魔女のいるパン屋

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魔女のいるパン屋

 なぜ自分は、今までこのパン屋に訪れなかったのだろう。もうこの地に住んでから二年も経つというのに。その間、なんと無駄な時間を過ごしていたのだろうか。  「ふんわりしていておいしそうだ」と思って選んだミルクティーブリオッシュをひと口齧った瞬間。凛弥の脳内に勢いよく流れ込んできたのは、十数年前のぼんやりとした記憶だった。  ーーカーテンが半開きの窓から覗く寂寥感漂う夕焼け、薄暗く殺風景な部屋。そして柔らかく、穏やかな味のデニッシュパン。小学生の頃、両親と共に住んでいた中古住宅でのノスタルジックな思い出。  現在、大学生の凛弥が借りているアパートは、吉祥寺駅北口から徒歩十分ほどの場所である。  電車を利用するには少し遠いが、講義の五分前に家を出てもギリギリ間に合う。大学生にとってはベストポジションだ。  そして吉祥寺北口といえば、飲食店や居酒屋をはじめ、和菓子屋、魚屋、花屋など、さまざまな商店が軒を連ねている、通称ハモニカ横丁が有名だ。  第二次世界大戦末期の闇市がルーツらしいこのレトロでどこかディープな通りは、いつも買い物客でごった返している。  凛弥も吉祥寺でひとり暮らしを始めたばかりの頃、都会気分に浮足立って何度か通ったものだ。  しかし、地元に古くから住んでいる同級生に「ハモニカ横丁? 地元の人はあんまり行かないねー。ごちゃごちゃしてるし、観光客ばっかで落ち着かないし。やっぱりなんだかんだで、スタバとかのチェーン店に行っちゃうな」と言われてから、妙に冷めてしまった。
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