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プロローグ
寒空の下、女は不機嫌そうだった。
内側の環の影は未だ深く、細身の長身を、漆黒の長い外套でくるみこんではいても、それでは寒いのだろう。
外套の下にのぞく上衣も同じく黒に見えたが、実際はそう見えるほどに濃い、深紅色である。少し離れた位置に停まった獣車の警護がかざす、松明の灯りが、彼女の純白の襯衣に上衣の影を刻むとき、わずかにその紅色が滲んで見える。
「確認しとくよ」白い吐息ともに、近年はリア・イストレイジと名乗っている女は言った。
「成果なし。完璧な失敗でいいんだね」
彼女の足元にうずくまった、黒ずくめの男は黙したまま答えない。
隠密部隊の頭領――リアは〈リーダー〉という天使語を使っていたが――らしい男は、押し殺した怒りと、凄まじいほどの疲労感を放っている。それは彼の部下たちも同じだった。
頭数は十人ほどだが、その全員が疲労困憊し、手傷も負っている。うち三人はかなりな深手で布にくるまれ、戸板で運ばれていた。その他の連中も、自分たちと同じくらい疲れ果てている高脚、つまり飼いならされた恒温巨虫類の足元にうずくまっている。
獣車とは別に蒸気車が一台。いわゆる装甲蒸気車だが、溝に嵌って車輪を一つ飛ばしてしまっている。そうでなくとも事故の原因は、奏者が力尽きたことのようだ。蒸気車といっても、ボイラーの熱源は〈花〉頼みのようで、〈赤い花〉を扱える唯一の人間だったらしい、彼の回復が見込めないなら無用の長物でしかない。
その上で、単に任務に失敗したというだけではなさそうな怨嗟が、彼ら全員から漂っている。
軽くため息を吐いてリアは、「これからどうすんの?」と問う。
「それは」〈リーダー〉が顔を上げた。「我らの一存では決められません」
「ふーん」
〈リーダー〉の視線を追って、リアも獣車に顔を向ける。ちょうど護衛の一人が、その扉を開くところだった。一瞬遅れて、小柄な人物が姿を見せる。
獣車からして、舞踏会に貴賓を送り届けるならともかく、このような案件に似つかわしいとは到底言いかねるシロモノだが、その者の身なりの豪奢に至っては、もはや理不尽の域に達している。外観からは性別も判断できない。その寸詰まりの姿が見えた途端、隠密たちの憤怒が目に見えて上昇した。
リアは〈灰色の花〉を奏でる、所謂〈愚者〉である。彼らの怨嗟が、その人影を中心によじれ上がる様を、ほんとうに見ることが出来た。
「立て! 下衆ども」護衛の一人が、怪我人にまで容赦なく怒鳴り散らす。「どなたの御前であるか、心得よ!」
リアはそっぽを向いて、鼻を鳴らす。
聞いた限りでは、よく練られているように思えた計画が、どうして目も当てられないほどの大失敗に終わったか、彼女にもようやく理解できたのだ。
「それで」だからか、〈リーダー〉に促されて、寸詰まりのところへ動いたリアの言葉は、無遠慮なものだった。
「あたしはいったい、どうすりゃいいの?」
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