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厄介者を追い払うに等しい結婚だとしても、彼女は目を背けずに、自身に与えられた役割だと真摯に受け止めた。
頭を下げる彼女の前で、衣擦れの音がする。美しく尊い人の気配が無くなるまで、彼女はそのまま動かなかった。
彼女は太子を前にして、体が震え出すのを止めることができなかった。
前に揃えた両手をついたまま、額が床に触れそうなほど深く頭を下げていた。広い室内は驚くほど深閑としている。するすると衣擦れの音が近づく。太子が間近で立ち止まった気配がした。
「――まだ幼いのに、酷な仕打ちをする」
響いた声は想像よりも明瞭で柔らかかった。凛と通る声が頭上から続けた。
「私は鬼ではない。君に呪をかけるほど酔狂ではないつもりだ。……顔をあげなさい」
緊張が高まり、どっと冷たい汗が噴き出す。彼女はゆっくりと上体を起こして、恐る恐る顔を上げた。
目の前に立つ太子を見た瞬間、彼女は息を呑んだ。
見たことのない闇色。緩やかにうねる細い髪は黒く、柔らかに流れて艶を放っている。夜の闇よりも、どんな宝玉よりも深い色彩。
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