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2、転校生
ガヤガヤしていてうるさいホームルーム前の教室はもう見慣れた光景ではあるけれど、やっぱり一瞬動物園なんじゃないかと疑ってしまう。
まあ、こんなことを考えている俺もそんな騒音の一つなわけだが、時々客観的にそう思ってしまうときがある。
「おーい、席につけー」
声の大きい大柄な古典教師の吉野先生が教室に入って来た。
申し訳ないけど、先生もこの3年A組動物園の一員に見えてしまう。なんの動物かは特に言わない。
先生は教壇に立って出席簿をバンッと置くと、ニカッと豪快な笑みを浮かべて、
「みんな喜べ。新しい転校生が来たぞ!」
転校生。
急な変化球にクラスが一気にざわついたのがわかる。
いや、もとからざわついているのだが、その度合いが格段に上がったと訂正しておく。
それより、一言目が「みんな喜べ」なのは先生らしい。そういうぶっ飛んでいるところに親しみを持てる。
「それって男子っすか?」
一番前の席の染井が身を乗り出しつつ手を挙げる。
こいつはいつもとにかく威勢がいい。バカ元気だけが取り柄のお調子者と言ったところだろうか。
「いや、女子だ。」
男女からそれぞれおおっと歓声が上がる。
すると直ぐに調子に乗るでお馴染みの染井が、
「え、じゃあ、その子ってかわいいカンジ?」
本人がいないのに話だけがどんどん進んで行っているが、大丈夫なのだろうか。
俺の心配をよそに吉野先生は、
「ああ……ま、かなりかわいいな。正直俺でもそう思う」
おいおい、教師が生徒をかわいいって、それ結構世の中的に危ういだろ。
それに、今のでだいぶ転校生のハードル上がったので、ずいぶん気の毒だと俺はまだ見ぬ転校生に同情した。
さっきよりもますます騒然とする教室を見回して、吉野先生は場が温まってきたとばかりに咳払いをしてから一旦教室を出て、
「おーい待たせたな、すまんかった。ではでは、里座。入って来い」
1、2分経ってから戻ってくるなり、自分が先に入室して後を促した。
俺を含め、クラス中の視線がドアに集中する。
そして、
「はじめまして。里座 静と申します」
教室が揺れたのかと思った。
いや、正確には全員がどよめき、ついに度を超えたお祭り騒ぎのようになってしまったのだ。動物園が限界突破するとこうなるらしい。
でも日頃、アイドルやら女優やらに興味のない俺でも、はっと見入ってしまう子だった。
長くさらさらとした黒髪に、桜色の頬、透明感のある、小柄なおとなしい印象だ。
かわいいというより、もはや芸術品なのではないかと思った。
ふと、今日見た桜並木を思い出した。
儚げで優しそうな感じがなんだか類似しているように感じる。
「それじゃ……席が空いてるから染井の隣」
「よっしゃああ!」
恥ずかしげもなく全力でガッツポーズをする染井を呆れたように見た吉野先生は、
「やっぱりうるさくて可愛そうなので、もう一つ空いてる大島の隣」
お、俺?
突然舞台に引っ張り上げられたような感覚で、自らを指差して目をパチパチとしばたかせる。
吉野先生はうなづいて、
「大島なら頭もいいし、慣れないこともサポートしてくれるだろう。じゃ里座、あの一番後ろの窓側の席だ」
先生の指示に里座さんはゆっくりとうなづき、俺の隣までやって来て左側の空席の椅子を引いて座った。
この間約20秒くらいだが、あんまり脳の処理が追いつかなかった。
俺、人見知りだし、それに転校生が来たらきっとーー。
「えーっ! この町に前住んでたんだ」
「あ、それじゃあ、新しくできたショッピングセンター知らないよね。じゃあ今度行こ」
「それよりめちゃくちゃ髪サラサラだね。シャンプー何使ってんの?」
周囲を包囲され、さらに矢継ぎ早な質問攻めにも関わらず、里座さんはニコニコ笑って、
「んー、特別なものは使ってないよ。ただ、ドライヤーで温風と冷風を使い分けてるの」
「へぇ! 偉いね。やっぱり女子力満載って感じ。里座さんって本当にほんわかしてるよね」
「え〜、アタシの方が女子力高いけどぉ」
「あんたは黙ってろ」
染井がくねくねしながら女子の声真似をして会話に入ろうとするも、即座に叩き出される。何度やっても懲りないんだからたいしたもんだ。
「ていうか大島ずるいよな。お前本当は馬鹿なのに」
「そうそう。先生のお気に入りだからって特別待遇してもらってさ」
男子勢からも非難を浴びる。とんだとばっちりだ。
俺が嫌だったのは主に周りの雑音が倍になることだった。隣が転校生とあらば、途端にそこが音の発生源と化す。
このままここにいたら鼓膜が破れるかもしれない。
「少なくともお前らよりは頭いいわ。なめんな」
開き直った俺の返事に、「おお、こわ〜」とお決まりのフレーズが返ってくる。
「あの、私、ある場所を探してるんだけど、みんなに知ってるか聞きたくて」
と、突然里座さんがそう切り出した。
「昔の思い出の場所とか? 特徴とかわかる?」
「それが……記憶がほとんどないの。なんだっけ、とっても綺麗な場所だったんだけど。確か、木の苗を植えたの……でもかなり昔だからどこにあるかはっきりしなくて」
「そうだよね。小さい頃の記憶ってほとんどないよねー。でも、ここら辺で落ち着く場所ってどこだろ?」
女子のリーダー格であるポニーテールの深山が里座さんの前に座り込んで、周りのとりまきに質問する。
すると女子達は顔を見合わせて、
「ショッピングセンターの向こうにある公園とか? ここら辺の小学生がよく遊んでるけど」
「あー、それもあるけど、近くの動物園はどう? 花がいっぱいある庭なんか結構落ち着くし、ちっちゃい子にも人気だよね。昔行った記憶ある?」
と、いろいろな案が上がったが、里座さんは首を振って、
「そこじゃない気がする。なんかもっと……でもありがとう。これからこの町に住むわけだし、ゆっくり探してみる」
「そっか……力になれなくてごめんね」
深山は悔しそうに上目遣いで見やった。
すると里座さんは笑って、
「なんで深山さんが謝るの? もとはと言えばこんな質問をした私が悪いのに。今度のショッピングセンター行くの、楽しみにしてるね!」
あ、咲いた。
今まではそっとほほえんでいる感じだったけど、ふわっと花びらが開いたような笑顔だった。
本当に心から喜んでるということがわかる。
心と言葉が連動している人間は素直にすごいと思う。
キーンコーンカーンコーン
ちょうど話が一区切りついたところでチャイムが鳴った。同時に雲の子を蹴散らすようにそれぞれ席に戻っていく。
やっと周りが静かになった。
「おー、A組だったか。本日二度目だな」
どしどしとクラスに入ってきた吉野先生は、教材を何冊か抱えて朗らかに笑った。
一時間目は古典らしい。
俺は机にかけてあるリュックから教科書とノート、筆箱を出して、その中から青いシャーペンと消しゴムを準備した。
「あの……大島くん?」
すると、遠慮気味に隣から声をかけられた。
振り向くと里座さんがいささか申し訳なさそうな顔で、
「ごめん、まだ教科書届いてないから見せてもらってもいいかな?」
「あ……そうだよね。こっちこそごめん、気づかなくて」
そう言って慌てて机の間に広げた古典の教科書を置く。
第一章は平安時代の伝承についての古文だ。確か御神木に宿った精霊が現れる話だったか。
でも、実は塾で散々やった文なのであんまり集中する気もなく、俺はぼんやりとグラウンドを眺めていた。隣のクラスがドッヂボールをしている。
「……さて。ここ一週間ほどこの文を読み込んできたが、わからない単語などはきちんと調べるようにしてくれ。そうしないと…」
さっきまでの喧騒が嘘のように、教室にはシャーペンの音と先生の声だけが満ちている。
ちらっと隣を見ると、真剣に教科書に顔を近づけている長い黒髪の少女が目に入った。
さっきは遠くてわからなかったが、かなりまつ毛が長いらしい。
あれ。
その長いまつ毛をふせた表情がだいぶ寂しげな気がするのは気のせいだろうか。
「よし、もう一回あらすじを堪忍するぞ。時代は平安の世。一人の少女が、尼さんからもらった苗木を植えた…」
授業の半分以上が余談であるので、ここは別にメモする必要はない。
俺は目をドッヂボールに戻してより一層、ぼーっとし始めた。
あー、早く体育の時間にならないかな。
あくびをしつつ無言で試合を観戦する。これぞまさに高みの見物だ。
今はプール側のチームが優勢である。
だがしかし、この聞き慣れたBGMと春の穏やかな日差しのせいで俺は結局眠りに落ちてしまった。
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