2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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 そばで話を聞いていた(たぶん途中から寝てた)中川のじいさんが「じゃあここらでお暇させていただくかな」と言った。  町内会長はかなり忙しいらしい。  そう史乃さんが言っていたのを思い出した。そのひょうひょうとした小柄な体が踏切の向こうに消えるのを見送り、作務衣姿の真純さんについて神社の境内を横切った。  観光客はまばらだけれど、その少なさがあまり広くもない静かな境内にちょうど合っている。 「あの、すみません。ごんごろって猫、今日はいないんですか?」  境内でうろうろしていた大学生らしきカップルのそばを通りがかると、真純さんに声がかけられた。 「ごめんなさい、ちょっと今は留守にしていて……」  少し濁すような言い方で、真純さんが頭を下げた。 「えーそうなんですか。せっかく会えると思ったのにー……」  不満そうな声を出した彼女に、隣で手をつなぐ彼氏が慰めの言葉をかけた。 「しょうがないって。また次、会いに来ようよ」 「でもごんごろに占ってもらいたかったんだけどなー……。だって、すごく当たるんでしょ?」  彼女の方が真純さんに確認するように聞いた。 「みなさん、そうおっしゃいますね」 「やっぱり! あの、戻ってくる時間とかわからないんですか?」 「ごめんなさい、自由にしている猫なので……」 「そうですかー……」  がっかりといった風を隠しもしない。彼氏が慰めているけど、相当楽しみにしていたみたいだった。 「ごんごろは今日はいませんけど、おみくじなら社務所の窓口にもありますよ。矢がついているんです」  あまりの落ちこみぶりに見かねた真純さんがにっこりと彼女の方に笑いかけた。 「矢って、あの弓と矢の矢?」 「はい。矢におみくじが結ばれた形になっているんですよ。矢は魔除けにもなりますからお持ち帰りいただいてます」 「へえー。じゃあそっち見てみよっかな」  真純さんが「ちょっとごめんなさい」と慧とおっさんに頭を下げて、カップルを案内するように社務所の方へ歩いていく。 「けっ、大凶でも出ちまえ」  ぼそりとおっさんがつぶやいた。 「うーわサイテー……。おっさん本当に大人なの、それでも」 「う、うるさいわ。だいたい大学生は勉学が本分だろうが。こんなとこでいちゃついてる暇があったら、勉強しろっての」  おっさんが文句を言っている間に、真純さんが戻ってきた。 「ごんごろに占ってもらうってなんなんすか?」 「なんだかよくわからないんだけど」と言って真純さんが歩き出す。 「いつのまにか、ごんごろに占いたいことを伝えて、それでごんごろのしっぽがぱた、と1回振られれば、願いがかなって、2回以上振られれば、願いはかなわないんですって」 「なんだそりゃ。占うっていっても、イエスかノーかで答えられる内容だけってことだよな、それは」 「ええ。まさにそうなんです。だから質問のあとに、必ずイエス? ノー? って聞くらしいんです。でも当たるって、いつからかそういう噂が流れるようになってしまって。神社としては公式にそのようなことを認めてはいないので、なかなかそうです、とお答えするのは難しいところなんですけれど」 「ごんごろもじいさん猫だろうに、いい迷惑だろうなあ」  おっさんがため息をつくと、真純さんが思いを馳せるような柔らかな表情で頭を振った。 「でもごんごろは人が大好きなんです。迷惑なんて言葉を知らないんじゃないかって思うくらい。とにかく人懐こくて誰が相手でも平気というか、むしろ話しかけられると嬉しいみたいです。だから、占いたい方たちがよっぽどごんごろに変なことをしない限りは私たちもそっとしておこうって」  占いができる猫、ごんごろ。しかも人が大好き。  そのごんごろが自身の4本足で境内から出ていった、というよりは、なんだか連れ去られてもおかしくないような気がした。 「ちなみに、ごんごろのことって警察に探してもらうって線はなかったんですか?」 「……そうですね。近くの駐在さんは気にして見回ってみるとはおっしゃっていただいていますけど、それもその方がずっとここで勤めてらっしゃるからで、あくまで私的な範囲だと思います」 「あのな、慧。警察は猫1匹で動いてくれるほど暇じゃねえよ」  おっさんは呆れたように言うと、くるりと真純さんの方を向いた。 「ところで、ここは誰を祀ってるんですか?」  極楽寺というほとんど目と鼻の先の位置に店を構えていて、あんまり知らなかった、というよりは、たぶん真純さんと話をしたいからだろう。  本当にわかりやすすぎる。そう思いながら、2人の後をついて歩く。 「権五郎神社という名前で親しまれてはいますが、本当は御霊(ごりょう)神社といいます。権五郎神社というのは、祭神であらせられる鎌倉権五郎景政(かげまさ)公のお名前からきた通称なんです」 「景政、ということは鎌倉時代の武将かなにか?」 「はい、鎌倉時代よりはもう少し前の平安時代ですね。源義家に従って、後三年の役という戦に出陣なさって、そこで目を射られながらも勇ましく戦われたと伝わる武将です」 「あれ? ごんごろも、目の上に矢みたいな形の傷って言ってなかったっけ?」  真純さんが笑みを浮かべながら振り向いた。おっさんじゃなくても、きれいなお姉さんにそうされると、ちょっとドキッとする。 「そうなんです、ごんごろという名前も、実はここの権五郎景政さまからとったものなんです。目の上にある矢の形をした傷っていうのがすごくここっぽいでしょう?」  おっさんには見えないところで少し茶目っ気を織り交ぜた表情をされて、ますますどぎまぎしてしまう。 「じゃあごんごろって名前は、この神社に住み着いてからなのか……」 「ええ。そうだったと思います。特に神社の職員がそう呼んでた、というわけでもなかったはずです。だからそれまではどんなふうに暮らしてたのかはあまりわからないんです。あ、この木の株、ごんごろがよく爪をとごうとして宮司に怒られていたものです」  そう言って真純さんが拝殿の手前にある簡素な東屋へと案内した。  小学生1人しか入れないようなスペースには、代わりに松の株がでんと置いてある。 「弓立の松といって、権五郎景政さまが弓を立てかけたものと伝わっています。でもごんごろにはそんな伝説より、爪とぎとしてちょうどよかったんでしょうね。住み着いた頃はよく研ごうとして……」  少し懐かしそうな響きで小さく笑うと、真純さんは、株の根元をじっと見つめた。そこに爪を研いだところがあるらしい。でも慧の目からは、表面のがさがさした感じくらいにしかわからない。 「爪とぎはしなくなりましたが、今も体を擦り付けてはいます。自分の縄張りだって主張してるんでしょうね。それから拝殿に上がる階段やその回廊にもよく寝ていましたね。でもなぜか拝殿の中には入ってこないんです。まるで自分がいていい場所をわきまえているみたいでした。それから夏場になると、拝殿の床下の石垣にもよく寝そべっていたりもしました」  真純さんはどこにどんなふうにごんごろがいたかを、まるで今そこにいるかのように説明していく。それだけごんごろが真純さんにとって大切な猫なんだということがわかる。 「あとはそうですね、本殿の後ろの山裾にアジサイが植えられているんですけれど、そこに小道があるんですね。梅雨以外のシーズンは誰もいないので、よくごんごろがのんびり歩いていたりもします」  そう言ってから真純さんは少し口を閉じた。  そのごんごろが、今どこにいるかわからない。  9月18日の面掛行列があった日からすでにもう1週間になろうとしている。 「心中お察しします……。必ず、野狐が必ずごんごろを真純さんたちの元にお返しいたします」  おっさんが真純さんにそっと寄り添うように言うのが聞こえた。でも真純さんがそれとなくおっさんと距離をとったのに気づいた。  いちいちそういうことするから避けられるんだ、とは口に出さずに、慧は境内を見回した。  大人が数人いれば境内をくまなく探せるだろう広さだ。それに観光客もひっきりなしじゃないとはいえ、地元の人も合わせればそれなりに人の目が行き届くような場所。  面掛行列の祭礼で、人の多さを避けてどこかに行ったとしても、猫が神社に帰ってこれなくなるということはあるんだろうか。  猫の習性みたいなものを調べてみるかとスマホを取り出した時、ふと柏手を2回打つ音が聞こえて拝殿の方を見上げた。  背中まで届くまっすぐなロングヘアの制服姿の女子が手を合わせていた。  短くしたプリーツのスカートからすらりと足が伸びている。  なぜか一瞬、ドキッとした。  スニーカーとパーカーを合わせたスポーティな感じも、スカートのチェックの模様もこの辺りの高校では見かけない。  その子はだいぶ長い時間お祈りしていて、終えると本殿に向かって深く頭を下げた。そのままくるりと体を回転させると軽やかに石段を降りた。長い髪がさらさらと揺れた。  そのまま参道を早足で歩きがてら、ちらりと慧を見た。  すごくかわいい。と思ったのも一瞬で、まっすぐな強い視線にたじろいだ。むしろにらまれたような気がする。  そのままその子は颯爽と石段を降りて、江ノ電の踏切を渡っていった。  あれ、と思う。  もしかして、さっき力餅家の角のところに立っていた人じゃないか?  思わずその子の背中を見送っていると、背後から異様な気配を感じて振り向いた。 「うわっ、び、ビビったあ……」  おっさんが無言の圧力を顔中にみなぎらせて立っていた。 「知り合いか?」 「え?」 「今の女子コーコーセーと」 「いや、別に。全然知らない」 「……ならいい」 「――はあ」  意味がわからない。  目の前のおっさんの行動も、さっきの子の視線も、全然意味がわからない。とりあえず、あんまりいい傾向じゃない気がする。心当たりはないけれど。  首を捻っていると、真純さんがオレを見てにこりと笑った。またドキッとする。  ちょっとおっさんの気持ちがわかってきたかもしんない。
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