2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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 残されたのは、おっさんとオレと紬の3人。  紬はつまらなそうにピンクの靴の爪先で参道の石畳のつなぎ目をなぞっていたかと思うと、やがてしゃがみこんで指で石畳の目をなぞったり、アリをつついたりしている。  ふいに江ノ電の線路の向こうが騒がしくなった。  30代くらいだろう数人の男性が楽しげに江ノ電の線路を渡り、参道を歩いてくる。  みんな体格がいいところをみると、何かスポーツでもしているのかもしれない。ガタイの良さならおっさんと張るくらいだ。  あれぐらいに体格がよければ、学校で簡単に絡まれることなんてないんだろう。ちょっとうらやましい。  男性たちはそのまま突っ立っているオレたちの脇を通り過ぎていった。 「……紬ちゃん?」  おっさんの声に、慧は視線を地面の方に戻した。  紬が小さくうずくまっている。 「どうした? お腹痛えのか? おい」  おっさんが呼びかけても反応は帰ってこない。  どうしたんだろう。のぞきこむと紬はひどく緊張しているようだった。  様子がおかしいことにおっさんと顔を見合わせた。 「真純さん呼んでこようか?」  そう言った瞬間、「だめ!」と激しく拒絶された。  小さな体のくせに声はやたら大きい。でも社務所に向かいかけた足を止めたのは、その声にこめられた必死さにだった。 「だめ!」  もう一度そう言って、紬は立ち上がった。 「だめ、って大丈夫なのか? 痛えとこあったりしないのか?」 「ないもん!」  紬は頭を振るともうそれ以上は何を聞いても返事をしないで、ただ石畳の目を爪先でなぞるばかりだった。  どう扱えばいいのか、慧もおっさんもわからない。  真純さんを呼びに行くにも行けず、仕方なく慧はスマホを取り出した。おっさんは大きく伸びをすると、江ノ電が通る単線の線路に目をやった。  三者三様、好きなことをして、微妙な空気だけがその間にわだかまっているみたいだった。  その時、ふとおっさんがつぶやいた。 「まあ境内は出てないとしても、だ。念のため江ノ電の知り合いに聞いといてもいいかもしれないな」  顔をあげると、おっさんは変わらず江ノ電の線路の方を見ている。 「見かけてないかって?」 「まあ、そうだ。万が一ってこともある」  さっき真純さんがいる場では言葉を濁していたことを頭に思い描いているのだとわかった。 「でもそうだったら、江ノ電側から神社に連絡入るんじゃないの? ひいてしまいましたって」 「慧っ!」  大声でおっさんに遮られて思わず首をすくめた瞬間、強い力でぶつかられてよろけた。  紬が慧に突撃するように殴りかかってきたのだ。たいした威力はなくても、何度も拳で腹のあたりをたたいたり蹴ったりされれば、それなりに痛い。 「い、痛い、痛いから! ちょっと、ねえ! 痛いってば!」  紬にやめる気配はない。 「紬ちゃん、ちょ、ちょっとやめてやれ、な? お兄さんも悪気があったわけじゃないんだ、な?」  逃げ出した慧を紬はさらに追いかけようとした。それをおっさんが捕まえるようにして止めた。  それでもおっさんの手から逃れようとばたついている。その暴れぶりに、男相手ならまだしも小学生の女の子をどう扱っていいのか、手を焼いていた。 「ごんごろは境内から出ないから! 絶対絶対、違うから!」  動けなくなった紬が離れた場所の慧に向かって叫んだ。境内に響きわたるような悲鳴じみた声に、観光客も何事かと振り返る。  どうすんだよオレ、めっちゃ泣いてんじゃん。  ぼろぼろと涙と鼻水に濡れた顔をくしゃくしゃにして、紬は慧を殺しかねない激しさでにらみつけると思いっきり足をあげ。 「いってえ!!」  おっさんの悲鳴があがった。小さな足でおっさんの足を踏みつけた。痛みにおっさんの紬を掴む力が緩んで、その隙に紬はくるりと身を翻した。そしてあっという間に境内から出ていった。 「ご、ごめん……」  さすがに悪いのはオレだ。 「さっき、相手のこと考えろって言ったばっかだろうがよ……。しかも真純さんにも言葉はまことになるって言われたろうよ……」  おっさんが足の甲を撫でながらうらめしげに慧を見上げた。 「うん……ごめん。なんていうか、まだるっこしいの苦手でつい……」 「だとしても、だ。相手はまだ小せえ子なんだから」  おっさんにまともなことを言われて、思わずため息をついた。  そこに真純さんが戻ってきた。 「あの、紬ちゃんの大きな声がしてましたけど」  紬の姿を探して、真純さんが境内を見回した。 「すみません、ちょっと不用意な言葉で傷つけてちゃって……」  体を縮めるようにして頭を下げた。 「……そうですか……」 「もう戻ってこない、っすか?」 「うーん、まだお母さんが帰ってくる時間じゃないから、退屈したら顔を出すとは思うんですけど、でも今日はお2人がいる限りはもしかしたら難しいかもしれませんね」 「すみません」 「いいえ、見かけたら伝えておきます。それで、祭礼の翌日にご飯をあげた職員なんですが、ちょっとすぐにはつかまらなくて。明日は出勤なので、わかると思うんですけど……」 「じゃあまたこちらにお邪魔しますよ」  そう言っておっさんは、「な?」と慧を見た。  オレを見られても困るんだけど。そう思いながら、慧は気を取り直しながら真純さんに向き直った。 「あと、もう一つ聞いていいですか?」  真純さんがにっこりと「はい」とうなずいた。 「祭りの前日に、夜、あの紬って子以外にごんごろに会いに来た人はいないんすか?」 「基本的に紬ちゃんが最後だと思います。その日は宮司が祭りの前日なので遅くまで仕事してましたから」  だとしても、宮司も紬も帰った後は誰もごんごろの様子を知らない。 「ここ、防犯カメラはあるじゃないですか。それ、確認しました?」  おっさんがそう言うと真純さんが驚いた顔をした。 「よくわかりましたね。さすがプロの方は見てるところが違うんですね」 「いやいや、このくらいは」  一気におっさんの顔が痛みを忘れたように明るくなった。何度も言うけど、本当にわかりやすい。こと、女の人のことに関しては。 「防犯カメラですけど、すぐに宮司が確認したんです。でも特に異状はなかったようです。昼間は人が多すぎて確認も大変だったようですけど、夜中の映像なんかはごんごろが一度横切ったきり、あとはもう動物が映っていたくらいだったみたいです」 「そんなに設置してないですよね? オレが見た限り、4,5台ってとこかと思うんですが。死角をつかれたら確認しようがない」 「それは、ええ……そうですね。大きな神社と違ってセキュリティにかけるお金があるわけでもないので……。でもそうなると、防犯カメラがどこにあるか、わかっている方になります。それは神社にちかしい人間ということになりますので、あまり……」  考えたくないというように真純さんはゆるゆると頭を振った。 「ごんごろを夜、吉水さんも紬ちゃんも帰った後に誰かが連れ去るっていう可能性は?」 「ない、……と思います。というのも、夜にごんごろを見つけるのは本当にごんごろのことを知っていないと難しいと思います」  真純さんはそう言うと慧とおっさんから境内の奥の方へ目を向けた。 「拝殿の左手に、扉がそれぞれある建物がつながっているようなところがありますよね?」 「あの、ガラス扉から中がのぞけるようになっていたあれですかね?」  さっき境内を案内してもらった時に脇を通りがかった、賽銭箱が格子のガラス扉に備え付けられていた木造の建物だ。神社の拝殿と同じ屋根をしていて、風格を漂わせていた。  ただ、照明がないのかつけないのかはわからなかったけれど、室内はだいぶ薄暗く、神輿のようなものが置かれているのがわかる程度だった。 「そうです。あれは宮神輿を納めている神輿庫です。ごんごろは、夜、眠る時はその神輿庫にもぐりこんでいるか、裏山のどこかで眠っているんです。社務所にもいちおうダンボールと発泡スチロールに毛布をしいた簡単な寝床もあるんですけど、よっぽど寒い日以外は外にいます。裏山でごんごろを見つけるのは難しいですし、まして、神輿庫は神社の関係者以外には開放していませんので」  確かにアジサイの低木や樹木が鬱蒼と茂る裏山でごんごろを夜に見つけだすのは難しい。そして神輿庫で眠るなんてことを知っている人もそう多くはない。 「わかりました。とりあえず、いずれ防犯カメラの映像を確認させてもらう必要があるかもしれません」 「はい。宮司には伝えておきます」 「じゃあ、いったんほかにあたってみますんで、今日は……」  名残惜しげなおっさんの声にもかかわらず、真純さんはにこりと笑ってうなずいた。 「わかりました。ごんごろのことでは本当にお手数おかけして申し訳ありません。どうか、紬ちゃんのためにも、ごんごろを見つけてください」  真純さんが深く頭を下げた。おっさんは「それはもう、大船に乗ったつもりで」と胸を張るようにいいかけて、真顔になった。頭を下げたままもう一度「どうか、紬ちゃんのためにも」と真純さんが繰り返したのだ。 「大丈夫です。見つけるといったら見つけます。約束したことは守る。それが野狐の信条ですから」と穏やかに声をかけた。  それまでのふざけた態度も、真純さんへの邪な心も、今のおっさんにはどこか遠く見えた。
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