2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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 立ち止まらなければよかったと思っても遅く、グループの中でも目ざとく慧に気づいたのはもちろん、最近慧になにかと絡んでくる柿澤だった。 「あれ、慧じゃーん?」  会いたくなかった相手の楽しそうな声には、慧と同じように会いたくなかっただろう上っ面の調子がありありと出ていた。  柿澤の隣で微笑んでいた香坂さんも、彼女を取り巻く女子も気づいて近づいてきた。 「慧がこんなとこにいるとか珍しい。いっつも家にいるタイプじゃなかったっけ?」  そう勝手に思いこまないでくれないかな、とは口に出さず、「別に、たまたま」と答えた。 「なんだよ、暗い顔して。ねえ、瞳」  学年一かわいい香坂さんを下の名前でわざわざ親しげに呼び捨てして、相手にマウントをとろうとするのがわかりやすい。おっさんもマウントをとりがちだけど、柿澤の場合は、それが本気だから質が悪い。 「宮島くんも、遊びに?」  香坂さんがアーモンド型の大きな目で慧をまっすぐに見て不思議そうに首をかしげた。ふわりと揺れた髪から少しいい匂いがして、どきりとする。お人形みたいにかわいい、と言われているのが納得できてしまう。 「ちょっと、用があって」 「用って、なに?」  すかさず柿澤が聞いてくる。  いちいちそれに答えなきゃなんないのかよ、と内心毒づく。でもそれを言葉にしたら、平和が崩れてしまう。(そんな平和、平和って言えるのか、とは思わないようにする。) 「えー、なんなの用ってさ。教えてくれてもいいじゃん」 「まあ、たいしたことじゃないから」 「いや、たいしたことかどうかは、慧が決めるもんじゃないよな? 聞いてるこっち側が判断することで」  言いながら柿澤が顔をのぞきこんできて、周りの柿澤取巻き軍団(と勝手に命名している)の2、3人が笑った。  できればあんまり関わり合いたくないのに、柿澤にはそのつもりはないみたいだ。  だいたい、なんでオレにいちいち絡んでくるのかわからない。たかがちょっと問題に答えられなかっただけで、たまたま出会い頭に香坂さんとぶつかりそうになっただけで、サッカーの試合でゴールを決めたくらいで、本当にいちいちうるさいほどに絡んでくる。  でも教室の中で柿澤を怒らせたら、とりあえず2年生にあがる時のクラス替えまで、あと半年は針のむしろみたいな居心地の中で学校生活を送らなきゃいけなくなる。それだけは避けたい。  入学の時、新入生代表として挨拶をした柿澤の存在は、オレも含めて注目の的だった。いわゆるデキるいいやつだと思ったのがそうではない、というのを思い知らされたのは5月のことだ。  ある時、学級委員になった柿澤に異を唱えたクラスメイトがいた。ただ価値観の違いだっただけなのに、真っ向から柿澤と対立した形になったそのクラスメイトは、翌日から柿澤にことあるごとに目の敵にされた。そして柿澤と仲がいい、というより取巻きだったクラスメイトの複数(柿澤取巻き軍団のことだ)がそいつのことを無視しはじめた。  柿澤がそうしろと言ったわけじゃないのに、夏休みに入ろうとする頃には、そいつに関わるクラスメイトはほとんどいなくなった。  そういう流れに全く興味がなかった慧のような生徒がたまにそいつと話をすることはあっても、表立って仲良くするみたいなことは避けた。  そして夏休みが開けてはじまった学校に、そいつは来なかった。  別にいじめがあったわけじゃない。  あからさまに無視していたのは少数の、柿澤を取り巻く奴らだけだったし、例えば教科書を隠したり、机をわざと教室の隅に倒しておいたり、その上に花瓶だけ置いたり、というのばかりだった。  でもそれが教室の空気をどんどん重くして、どんどん重くしたはずの柿澤じゃなくてそいつに非難が向きかけていた。そいつは、その空気を敏感に察していたのだろう。  おかしいと、誰も言わなかった。慧も含めて。  気づくと、柿澤が白といえば白、黒といえば黒。  今では教室の雰囲気はそんな感じになりつつある。 「なあ、聞いてる? 慧、ここでなにしてんの? おもしろいことだったら教えてよ。楽しいことはみんなで分かち合わないと、ねえ、瞳」 「……別に楽しくはないと思うけど」 「なになに」 「いなくなった猫を探してる」 「……猫?」  ぽかんとした表情をして、柿澤が次の瞬間笑いだした。 「猫さがし? え、マジ? マジで猫?」 「わざわざ猫さがしとか、ださくない?」 「ちょっと慧くーん、それおもしろい?」 「別におもしろいとかそういうことじゃない」  ついきつい口調で言うと、笑いがやんだ。 「あっそ。ま、どうでもいいわ」  不愉快になったのか、それまでの陽気な雰囲気をひそめて柿澤はつまらなそうにそう言った。  それを境に、一緒にいた周りの奴らも興味を失せたようになった。でも唯一、香坂さんはオレを笑いもせずにまっすぐ見ている。 「……あの、宮島くん」  香坂さんが慧を呼んだ。柿澤の顔に苛立ちがよぎった。 「もしかして、その猫って、権五郎神社の?」 「え、ああ、うん。そうだけど、知ってるの?」 「うん。私もごんごろに時々会いに行ってたし、いなくなったのも聞いてたから」 「そうなんだ」  香坂さんが慧の話題に興味を示したせいか、なんとなく微妙な空気がその場に流れていた。  柿澤は明らかにもうその場を立ち去りたがっていたし、柿澤取巻き軍団は香坂さんが次になにを言うのか不安そうな顔をしていた。かたや香坂さんの周りにいる女子たちは「知ってる」とか「心配」とかそんなことをひそひそとささやきあっているのが聞こえた。 「でもどうして宮島くんが探してるの?」 「ちょっと頼まれたんだ。オレは手伝ってるだけで」 「すごいね」  そう言って香坂さんは、にっこりと天使みたいな笑みを浮かべた。  虚を衝かれたように、慧も周りも一瞬しんとした。それから明らかに柿澤の機嫌を意識して、不安や困惑の空気が流れた。でも香坂さんはその天使みたいな笑みを崩さずに、そこに立って慧を見ていた。  学年一かわいいとか、天使とか、ミス鎌倉候補とかいろんな呼び方をされているけれど、そんな言葉とは全然違うところに彼女が立っている気がして、初めて香坂瞳というクラスメイトと向き合っているような気がした。 「……別に、そんなすごいことじゃないと思う」 「ううん、私はすごいと思うな。だって、それは宮島くん自身のためじゃなくて、ほかの人たちのためでしょう? そういうのって簡単にできるようで意外とできないと思うから」  きっぱりした物言いは凛としていて、今まで見てきた香坂さんとは違う人みたいだった。いや、単にオレが知ろうとしなかっただけかもしれない。  ただこれ以上、ほかのクラスメイト、特に柿澤をかやの外にして会話を続けるのは問題な気がする。  どう言葉を返せばいいのかよくわからず黙っていると、隣でいらいらとしていた柿澤が一歩前に出た。 「瞳、そろそろ行かないと。あそこのカフェ行列必至だからさ」  それにハッとしたように、香坂さんが「そうだったね」とうなずいた。 「宮島くん、ごんごろのこと、私からもお願いします。絶対見つけてね」  オレに頭を下げてから、香坂さんは隣の柿澤を見あげてにっこり笑った。  あ、柿澤の顔が溶けた。でも次の瞬間には、いつもかっこいいオレというキメ顔を装着していた。  ある意味、おっさんと同じようにわかりやすいやつだ。 「ごめんね柿澤くんもみんなも。行こ?」  促されて柿澤をはじめみんな気を取り直したように「よーし、行こうぜ」と慧を見ないようにして歩き出した。唯一、香坂さんだけが軽く会釈して通り過ぎていった。
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