2章 権五郎神社の福猫ごんごろ失踪事件

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 江ノ島電鉄に勤めているという藪野さんは、おっさんとは対照的に華奢で色白の小柄な男の人だった。運転士らしく江ノ電の黒っぽい制服を着ているけれど、どちらかというと制服に着られているといった方が正しい気がする。  案内された応接室でさっそくおっさんがごんごろの話を持ち出すと、目の色を変えて身を乗り出した。 「僕もごんごろのことはすごく心配してる。その噂を聞いた時、まずうちの線路でもしかしてって、すぐ調べたよ」 「でもそういう事故はなかったんだよな」 「そう。でも気になる話を聞いてね」  藪野さんは少し息をひそめてオレとおっさんの方に身を寄せた。思わずこっちも身を藪野さんの方に寄せるようにした。 「うちの会社に、設備、つまり鉄道そのものを管理、保守する部署があるんだけどね。そこの人が最近権五郎神社で不審な動きをしていた人を見たって言っていたんだよ」 「どういうことっすか?」 「江ノ電の場合、設備の点検とかって、日中もだけど夜も行うんだよ。ほら、日中は普通に電車が動いてるだろう? だから夜に、線路で作業することも多いんだけど、権五郎神社の境内に線路を何度も横切って行ったり来たりしていた人がいたらしいんだ」 「境内に?」 「そう。同じ人が権五郎神社に入って出てきて、しばらくしたらまた入っていって出ていって、みたいなことを繰り返したって。ただ線路にその保守の人たちがいるって気づいた途端、そのまま出ていって戻ってこなかったみたいなんだけど……」 「かなり不審な感じだな」 「うん、ただその時は、途中で気づいただけだったから、お百度参りぐらいにしか思わなかったらしいんだよね。でもごんごろがいなくなったっていうのを聞いて、もしかしたら、って思って話をしてくれたんだけど」 「行ったり来たりしてた不審人物、か……」 「真夜中に神社に何度も用があるって、ちょっと普通じゃないですよね。それいつぐらいの話なんすか?」 「えーと、確かね、あの面掛行列のあった前日の、日付が変わる前くらいって言ってたよ。だから覚えてるって」 「でもその日、防犯カメラに不審人物は映ってないって、宮司の吉水さん言ってたよね?」 「だな。……ってことは防犯カメラの位置を把握していて、その死角をついた人物、ってことにもなる。藪野さん、その不審人物の風貌とか、なにか姿かたちでヒントになりそうなこと言ってなかったか?」 「うーん、遠くからだし夜だったから、どんな人かまではわからなかったそうだけど、でもあまり背は高くなくて、太ってもいなかったと思うとは言ってたかな。そう言っちゃうと、男か女か、ってのもわからないけど、白いマスク以外あまり目立たない黒っぽい格好だったみたいだよ」 「疑いたくなるとこだけど、決定打はないしなあ」 「その人物がごんごろを境内からさらったとしたら、ごんごろは暴れますよね」 「でもごんごろを眠らせたりとか、騒げない状態にしてたら、運べはする、な」 「騒げない状態って、例えば眠らせるみたいな?」 「まあ、そうだな。睡眠薬とか麻酔、とか。あんまそこらへんはわかんねえけど。後は、まあ……」  考えたくはないがな、とおっさんが暗い声でつぶやいた。  藪野さんが青ざめた顔で「そんな縁起でもありませんよ」と軽く体を震わせるようにした。 「でもそういう状態にするにも、準備が必要っすよね。面倒な」 「準備?」 「だって、日中は人の目があるし、夜もけっこうな時間まで宮司が残ってたりするわけですよね? その時間だって日によるでしょうし。ごんごろを眠らせるといっても、どのくらいの時間眠らせることができるか、とか、そういうのかなり詳しい人ならまだしも」 「まあなあ……相手は生き物なんだ、ちょっとってわけにはいかないよなあ……」  おっさんは大きくため息をついて天井をあおぐと、「よっし」と両手で自分の膝を叩いた。 「とりあえず、情報を集めるしかないな。藪野さん、悪かったな仕事中」 「いや、僕の話でなんとかなるなら全然このくらい。お役に立てるならいつでも聞いてください」  藪野さんは慌てて恐縮したように両手をぶんぶん振った。 「で、藪野さんついでなんだが」 「はい、なんでしょう?」 「こいつ、慧を運転席に座らせて江ノ電走らせるってのはできるか?」 「え?」 一瞬言われたことがわからないと言いたげに藪野さんは慧を見た。  インセンティブのことだ。ちゃんと約束を果たそうとはしてくれるらしい。 「え、ええーとそれは……む、難しいと思います……」 「うん、だよな」  困ったように目を泳がせた藪野さんに、おっさんは大きく同意するようにうなずいた。そして慧を向いて「だそうだ」と言った。 「は?」  そこは粘るんじゃないの、普通は。 「諦めろ、慧」 「え、なんすかそれ。だってインセンティブの中身を言ってきたのおっさんからでしょ!」 「じゃ、藪野さん、またなんかあったら連絡ください」  おっさんは文句をあっさり聞き流して、おろおろと困ったようにオレとおっさんを見比べる藪野さんに改めて頭を下げた。
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