3章 ごんごろ探しで知った、縁×縁×縁

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3章 ごんごろ探しで知った、縁×縁×縁

 惚けた顔をしているおっさんを待っていられるほどの余裕はない。 白い上衣に緋の袴を眩しそうに見ているおっさんを追い越して、慧は階段を上って宝物庫の中へと足を踏み入れた。宝物庫といっても大きいものではなく、民家の敷地にあるような小さな蔵といった感じだ。  慧の部屋よりも小さいくらいの横長の空間には窓もなく、正面には壁に沿ってガラスの棚があった。その中には古い仮面が10ぐらい横に並べて飾られている。能楽を学校で観たことがあったけれど、それとは全然違うものに見えた。 「正面に並んでいるのが面掛行列で使われる10種の面です。もともと18日は、景政公の御命日で例大祭としてお神輿が街の中を渡られるんですね。それに神職の私たちや氏子さんたちがそれぞれ役割をもってお供をするんですが、その中の十人衆と呼ばれる人たちがつけているのが、その面なんです」  先に中に入った真純さんが扉のそばに控えるように立って言った。  例大祭の翌日にごんごろのご飯当番をしたという職員に午後なら話を聞けるということで権五郎神社を訪れたのが昼すぎだった。 「すごくいい面だ。古い時代の仮面舞踊で使われていたような面によく似ている」  あとから来たおっさんは、正面に飾られた面に目を止めた瞬間、驚いたように棚のガラス窓に近づいて魅入った。 「さすが古道具を扱われる野狐さん。ご存知でしたね」  巫女装束の姿をした真純さんに褒められて、おっさんの顔が一気に緩んだ。 「6、7世紀頃、推古天皇の御代に、古代インドから伝わってきた伎楽(ぎがく)という仮面舞踊で使われていたものを原型としている、と言い伝えられています」 「なるほど。でも伎楽なら奈良時代の仏教伝来の時に伝わったという説もある」 「仏教なの? ここ神社なのに?」 「そうだ。おもしろいだろ、昔は神仏習合って言って、神社も仏教も一緒の敷地にあった時期があるんだ。その名残だろうな」  おっさんは興奮したように十人衆の面を順番にのぞきこんでいる。大きな体がガラスに張り付いている姿はなんだか滑稽だった。  一番は爺、二番は鬼、三番は異形、四番は鼻長(はななが)、五番は烏天狗、六番は翁、七番は火吹男、八番は福禄、九番は阿亀(おかめ)、十番は女、と面のそばに書かれている。  おっさんの隣で順に見てみるけど、どれも異様な顔をしている。元はちゃんと色が塗られていたらしいものの、すでに色彩ほとんど剥げ、薄汚れて見える。そのうち半分くらいの面は、鼻がやけに大きく誇張されていて口も大きい。残りは祭りの屋台で売られていたお面のひょっとこやおかめを思い出させた。 「でもなんか、なんでこんなふうに変な顔なんだろう」 「変だよなあ。オレもそう思うよ。でもな、仮面舞踊自体、滑稽なパントマイムみたいなもんだったと言われてる。いろんな演目があったんだろうけど、中にはそのな」  そう言っておっさんがオレに身を寄せた。 「いわゆる、男のナニを武器に女に言い寄るみたいなもんもあったらしい」 「武器にって、そんなでかいんすか!?」 「声でけえよ」  おっさんが慌ててオレの頭をぺしんと叩いた。 「大丈夫ですか?」  わずかに顔を赤らめたような真純さんには、たぶん聞こえていたに違いない。 「あ、いえいえこっちのことで」  おっさんがごまかしながら、咳払いをした。 「この面がはるか昔、シルクロードから伝わってきたものの流れを組んでるかもしれねえと思うと、こう身震いしてくんだよな」  ちょっとわざとらしい言葉に、真純さんが少し怪訝そうにしている。 「真純さん、この面はどれも今も使ってるんですよね?」 「ええ、18日の面掛行列で使ってますよ」 「生きた文化財ってやつだな。すげえな」  オレにはおっさんの興奮ポイントがわからない。とりあえずすごいものなんだというくらいだ。  でもあのじいちゃんの将棋セットから、将棋の駒の技術や産地を読み解いたくらいのおっさんにとってみれば、目の前の仮面に慧には見えていない何かもっと別の世界が見えているかもしれない。そう思うと、なんだか無性にうらやましくなった。 「古道具屋としては、やっぱり血が騒ぐ感じ的な?」 「というよりはな、八幡さんに比べりゃ圧倒的に小さなこういう神社で、古式に則った世界が地域の人の手で受け継がれて守られてきた。それがたまらないと思うんだよ、オレは。この仮面を通して、たくさんの人間の、その時の感情や想いや気持ちなんてものを受け取ってるみたいな気がすんだよなあ」  おっさんの言葉に背中を押されるようにして、慧はもう一度その仮面をのぞきこんだ。  この塗りが剥げたり、頭のてっぺんがすり減ってたりするのもそういうことになるのか、やっぱりちょっとわからない。でも、もしそこに慧の知らないいろいろなドラマや物語が眠っていて、ほんの少しでもその片鱗をのぞけたらいいなと思う。 「この面掛行列って、鎌倉じゃここだけですか?」  真純さんがうなずいた。 「ええ、そうです。今はここ御霊神社でしか執り行われていません。でも昔は鶴岡八幡宮で行われていたと伝わっていますね」 「八幡さんで?」 「ええ。実は面掛行列には、その名残があるんですよ。その十人衆の仮面のうち、一番面から八番面までは、いわゆる人ならざる異形や男性の面なんですけれど、九番面、十番面は女性なんです。特に九番面は、阿亀と書いてありますよね? それは孕み女、つまり妊娠している女性の面なんです。氏子さんたちはみんな男性ですから、九番面と十番面をつける氏子さんは、女装しなきゃいけないんです」 「ええっ、女装するんですか? いい年したおっさんとかおじいちゃんとかが?」 「そう。女性の衣装を身につけます。しかも九番面の阿亀は妊娠してますから、わざわざお腹に詰め物をして、膨らませるんです」 「十番面は?」 「そちらは「女」と書いてとりあげといって、産婆さんの役割だったと言われています」 「つまり阿亀が豊漁や豊作祈願の象徴ってことか。ということは、面掛行列の主役は、この阿亀なのか」 「そうですね。でも豊漁豊作以外にも、子供を授かりたい女性にとっては安産祈願になりますね。お腹に触ると無事赤ちゃんが産まれるって。だから行列の時、阿亀の面をつけた氏子さんは、女性を見つけるとお腹を触らせてあげるんです」  宝物庫にはその行列の写真も飾られている。  なかに、仮面を外して拝殿前で撮影された集合写真があった。確かに中央に大きなお腹を抱えて、仮面や着物からのぞいてしまう首や腕にまっしろなお白粉を塗ったおじさんが微妙な顔をして立っている。 「でもそれがどうして八幡さんと関係あるんですか?」 「実は、その阿亀っていうのは、一説には昔、源頼朝が可愛がって身ごもらせてしまった身分の低い娘だといわれてるんです。だから明治ぐらいまでは八幡さんでも面掛行列が行われていました。絵図にも残っています」 「でも今じゃ八幡さんに面掛行列はない」 「この面掛行列が仏教に近いからだと思います。今ではうちの神社でしか残されていないので、なおのこと私たち神職のものも氏子さんたちもひときわ思い入れがあります。それに身分の低い娘が時の権力者にまでなった有力な武将と恋に落ちるなんて、なんだかドラマチックでしょう? 身分が低いといっても、町人ではなく非人の娘と伝わりますから、命がけの恋だったと思いますし」 「非人……?」 「穢多非人って習わないか?」  おっさんが慧を見た。歴史か何かで聞いたような覚えがある。 「身分でもかなり下、だよね?」  自信なく言うと、おっさんと真純さんがうなずいた。 「高貴な人や身分が上のものに顔を見せてはいけないくらいでした。だからこそこの10種もの仮面を頼朝のために娘のまわりの人間がつけたとも言われています。それも結局はその娘の安産や無事を願う心からはじまって、それがこの面掛行列につながっているのだとしたら、いろんな人たちの切ない祈りがこめられている気がして、すごく大切に思えてくるんですよね」  真純さんが思いを馳せるような表情になった。
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