3章 ごんごろ探しで知った、縁×縁×縁

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 若いカップルや女子ばかりのグループなど入店を待つ数組を追い越して、開け放されている古民家の中をのぞきこんだ。  柔らかな色の照明が照らすアデールの店内は、落ち着いたジャズが流れ、色あせた木のテーブル席はどれも満席になっている。キッチンとホールで動くスタッフはみんなバリスタ仕様のエプロンをして、白のカッターシャツで揃えている。どのスタッフもきびきびと、でも丁寧に穏やかに客と接していて、かっこよく見えた。  その中から御園生さんの姿を探していると、1人の男性スタッフが近づいてきた。 「どなたかお待ち合わせですか?」 「あ、いえ。御園生さんと会うことになっているんですけど……」 「ああ、君、もしかして宮島くんかな?」 「はい」とうなずくとついてくるように促された。  テーブル席のお客さんの様子をそれとなく観察すると、おいしそうな料理を前に誰もが嬉しそうにしている。ふわふわしたパンケーキや小ぶりのケーキといったスイーツもあれば、キーマカレーやナポリタンなどのご飯ものもある。  男性スタッフに案内されてついていくと、店の奥でちょうど女性客2人のテーブルにプレートを提供している御園生さんがいた。  すっと男性スタッフが近づいて耳打ちするように何かを言い、それから御園生さんと入れ替わるようにして立ち位置を変わった。そして改めて2人の女性客に非礼を詫びて、退いた。 「来てくれたんだね、慧くん」 「接客中にすみません」 「いいんだよ。ちょっとこっちに来てくれる?」と言いながら御園生さんが途中で厨房に声をかけ、2階に続く階段をのぼりはじめた。木造の階段はあがるたびにきしんだ音をたてた。 「古くて驚いたでしょう? 普通に生活していた民家をカフェに改築したんだよ」  2階は1階よりは窓からの光が入って明るい。その空間には客は誰もおらず、大きめのテーブルや棚がしつらえてあるだけだ。 「2階はギャラリーなんだ。下で待つお客さんが見てもいいし、ここを目的に来てもらってもいいように開放してあるんだ」  見渡すと、テーブルや棚には陶器がたくさん並んでいる。どれも艶のない白さが柔らかな、シンプルなものばかりだ。手触りがよさそうだけれど、繊細な雰囲気のものになると触るのが少し怖い。でもアデールの古民家にはとてもよく似合った。 「若手の作家さんのものばかりでね、中には鎌倉で焼いている作家さんもいるんだよ。僕らの仕事には、このギャラリーを運営していくのも含まれるんだ」  カフェ以外にギャラリーもあるとは知らなかった。 「もう少ししたら人の波もいったん途切れると思うから、そうしたら少し下での仕事も紹介するね」  御園生さんの言葉にうなずいて、いろいろと見て歩く。  陶器を飾るだけでなく、その陶器に、小さな木の実がついた枝が載せてあったり、一輪の花の小瓶が添えてあったりする。こういう仕事はとてもセンスがいるんだろうと思う。 「そういや、ごんごろ探しはどう? なんとかなったのかな?」 「いえ、まだ、……だと思います」  なにか追及でもされるかと一瞬身構えたけれど、御園生さんは穏やかに「そっか」とうなずいただけで特に詮索もしてこなかった。  ほんの少しホッとして、ほんの少しがっかりした。  なんでがっかりしたんだろう。そう思っていると、ふと奥にカバーのかかったアップライトピアノが置いてあった。 「ピアノ、誰か弾くんですか?」 「あれ? そう。週末の夜に月1でね、この2階でライブイベントをしているんだよ。主にはボサノバやジャズといった、アデールに合う音楽ばかりだけど」 「へえ……すごいですね。御園生さんが弾くんですか?」 「いやいや、僕は楽器は全然。知り合いやプロの方や、演奏したいっていう申こみがあって開いてる。そのへんは適当に、だね」  カフェ&バーと一口にいってもいろいろなことしているんだなと思う。でもこんなに穏やかでかっこいい御園生さんがどうしておっさんなんかと知り合いなんだろう。 「あの、おっさん、あいや、支倉さんとはけっこう仲がいいんですか?」 「え? ああ、野狐くん?」  飾られている陶器や雑貨などを見て回る慧を壁際に寄りかかって見ていた御園生さんが「そうだねえ」と言って体を起こした。 「仲がいいの、かな? 僕は彼のことを好きだけど、彼はどう思ってるかは知らない。でもまあいい方じゃないかな」 「なんで……」  あんな怒鳴ったりガキっぽかったり、いちいち女と見れば目の色変える男と。  そう口にしていないのに、御園生さんは慧が言いたいことを読んだようにメガネの奥の瞳も細くしながらにっこり笑った。 「彼、ああ見えて繊細なんだよ。ほら、そういうやつほど、キャンキャン吠えるとも言うでしょう?」  聞きながら、ん? とちょっと言い方に一瞬ひっかかる。 「まあ確かに、女好きだし、うるさいし、賭け事好きだし、体大きすぎて邪魔だし、あんまり褒められたもんじゃないけど」  もしかして、この人けっこう毒吐く人かも? 「でも人を助けることに関しては、彼ほど熱のある男を僕は知らない」 「人を助ける……」 「そう。僕が彼と知り合ったのはもうだいぶ前だけどね。この店だって彼がいなければ、もうとっくの昔に閉めていただろうね」  さらりと言われたことに驚いて御園生さんを見た。 「驚くよね。今はこんなにお客さんが来てくれているけど、開店した当初はもう全然でね。野狐くんのおかげでここまでたくさんのお客さんが来てくれるようになったんだ。本当にありがたいなって思ってる」 「おっさんがなんかしたんですか?」 「うん、そう。あのピアノ、彼がここに持ちこんだんだよ」 「えっ!?」  あのおっさんの姿に、そこにあるピアノが結びつかなかった。  御園生さんは慧の驚きにさらに茶目っ気のある笑みを浮かべて言った。 「あのピアノをね、野狐くんは弾くんだよ」 「ええっ」  あまりの衝撃に開いた口が塞がらなかった。 「マジすか……」 「驚くよねー。でも演奏聴くともっと驚くんだ。素人レベルじゃない。ちゃんとピアノを習った人の演奏だし、すごく感情豊かでね。おかげで常連の女性のお客さんたちからはモテモテだよ」  あの野狐という店を営む支倉実篤という人物がますますわからない。  東大卒で、ジャズ・ピアノをさらりと弾けてしまう。  慧が接してきたおっさんの印象とはかけ離れていた。 「たぶんさ、僕が思うに、ピアノの基礎や素養はもともとあったと思うんだけど、おそらくジャズ・ピアノをやるのには、相当練習したんじゃないかな。ここで弾くために」 「……なんで」 「そういう人物なんだよ。僕が知る野狐くんは。誰にも言わずに人知れずいろんな形で動いてる。だから彼ほど誰かのために熱意のある男を知らないって言ったんだよ」  そういえば、おっさんはごんごろ探しを引き受ける時に、お金の話なんて一切出していなかった。史乃さんの家で将棋セットを探している時は事前にそんな話をしたのかもしれないけど、少なくともごんごろ探しは慧もずっとそばで見てきた。 「とはいえ、不憫だけどね。女の子大好きなのにあの容姿だから、まずひかれるというか警戒されちゃって。せめて、スキンヘッドやめてヒゲくらいそればとっつぁん坊やみたいな風貌から少しは年齢相応にも見えるのにね」  けっこう言うな、この人。 「……あの、御園生さん」  慧は御園生さんをまっすぐ見た。少し言いにくい。 「すみません、ここでのバイトの話……」 「うん、野狐くんところに戻るかい?」  ずばり言いたいことを指摘されて「すみません……」と思わず謝った。 「選ぶのは慧くんだから、そんなふうに謝らなくていいんだよ。僕だって、君の立場だったら彼を選ぶような気がするから」 「ありがとうございます」 「まあでも」  御園生さんがにっこり笑みを浮かべた。 「バイトかけもちの高校生なんていくらでもいるからね。慧くんがここで働きたいなら、いつでも大歓迎だよ」  笑いながら相手を刺せそうな端正さをもつこの人を、絶対敵にはしないと心に誓った。
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