3章 ごんごろ探しで知った、縁×縁×縁

8/8
前へ
/48ページ
次へ
 ハッハッと荒い息をつきながら江ノ電の線路手前で膝に手をついて息を整えた。緑色の車両が大きな音をたてて通過していった。  もういないかもしれない。でもまだいてほしい。いや、いてほしくない。  そんな葛藤が心の中でせめぎあう。  遮断器があがりかけているのを身を屈めてくぐり抜け、境内に駆けこんだ。  夕陽が落ちつつある境内はだいぶ薄暗さの中に沈んでいた。観光客も日曜日の夕方とあってほとんどいない。  境内を見回し、神輿庫をのぞきこんだ。  いない。もう帰ってしまったのかもしれない。  それならせめて自分がやっていたことくらい、ちゃんとやってからおっさんに会おう。  山の崖の陰になり薄暗さが増したアジサイの小径で、アジサイの低木を中断前の続きから一つひとつのぞきこみ歩いた。視界が悪くて、剪定された枝先が腕や足をかすめて痛い。  スマホの懐中電灯をつけた。さっきまでよりは見やすいけれど、照らす範囲が広いわけではない。息を吸って吐いた。  立って全体を見回し、腰をかがめて低木の下や草がはえたところをのぞきこむ。それを地道に繰り返した。  どのぐらい経っただろう。もう境内は暗い。いつのまにか社務所も閉まっている。  社務所からは死角になるような位置にいるせいか、誰にも気づかれなかったらしい。淋しい。せめて挨拶ぐらいすべきだったかもしれない。  それでなくても腰が悲鳴をあげて、体がこわばっている。その痛みがよけいに弱気を誘う。  滴る汗をぬぐった。死角と思われる部分はだいぶ探した。  もしかして死角じゃなく、あえてわかりやすいところ、なんていう線は考えられないだろうか。  そう思って立ち上がろうとした瞬間、腰がぎしぎしときしんだ。 「う、いってえ……」  呻きながら、そうっと体を起こした。  スマホで死角のあたりをつけるのに撮影した写真をもう一度確認する。  死角にあたらないと、探索エリアから外したエリアのアジサイの小径を見た。 「別に猫のえさが置いてあっても、ごんごろが普段いる神社なんだから、誰がそれを置いたかなんて普通は気にしないよね……」  だったら、死角なんていうのはたいして意味がないのかもしれない。むしろ見つけやすいところのほうが人は気にしない。誰か、ごんごろがかわいくてえさを置いたとしか思わないだろう。  境内の明るい方へと向かった。そして神輿庫と拝殿からも見える位置のアジサイの低木のあたりを探しはじめた。境内を照らす街灯の光も届きやすいせいか、比較的探しやすい。  とはいえ、腰がそろそろ限界だと言っている。  でもせめて、探した結果をもっておっさんの前に立ちたい。  体を起こして背中をのばし、背筋をほぐした。どんどんこの動作が増えてきている。  またアジサイの下生えの地面をさらうようにのぞきこんだ。その時。  隣のアジサイとの間にわずかにある草がまばらに生えた地面。そこに薄汚れた小さな1センチ四方にも満たない茶色のものが10数個ほど山のように置かれ、その周りにもころころと転がっている。しかもだいぶふやけたり、地面に同化していたり、一部は白いカビらしきものが生えつつあった。  食べものだ。 「見つけた!」  その勢いで体を乗り出させた瞬間、なにか大きなものにぶつかって弾かれた。 「うわっ」と尻もちをつくと同時に「おわっ、な、ななななんだ!?」と上ずった声がした。  地面に尻をつけたまま顔をあげると、大きなかたまりが動いた。 「おっさん……」 「な、なんだよ……、慧じゃねえか。驚かすんじゃねえ」  大きく息を吐きながら、おっさんが立ち上がって慧に体を向けた。 「うぉ、いって。腰きついな、これ」  そう言いながらおっさんは腰に手をあててほぐすようにした。どうやら背中を向けてしゃがんだままアジサイとアジサイの間の小径を後ずさるように移動してきたらしい。 「ず、ずっと探してたの……?」  立ち上がるのも忘れて聞くと、おっさんはきょとんとした。 「そりゃそうだべ。なんだよ、どうした、慧。腰でも抜けたのか?」 ……抜けた。腰、抜けたと思った。  驚いたせいなのか自分でもわからないけど、あまりに変わらないおっさんの言いように、なんだか胸の奥が熱くなってきて、たまらなく泣きたくなった。  うつむいて、堪えるように歯を噛み締めた。 「なんだ、慧。ぎっくりでもやったか? 大丈夫か?」  おっさんの声が心配そうに降ってくる。 「……平気。大丈夫。ぎっくりもやってない」  ぎっくりってなんだよ、若いオレがそんなのにならないよ。  そんな文句を封印して立ち上がろうとすると、目の前ににゅっと手が伸びてきた。 「ほら、立ち上がれ」 「……うん」  その手を掴んだ。ごつい手がオレの手をつかんで、強く引っ張り上げられた。あたたかくて分厚くて、大きな手だと思った。  尻の土や葉っぱを払いながらおっさんを見た。 「ありがと。……うございます」 「お? おう」とおっさんはうなずいた。そのつぶらな目は穏やかなままだ。  それからごめんなさい、と言おうと口を開けた時、おっさんが「そういや」と言った。少し遮られたように思えたのは気のせいだったんだろうか。 「神輿庫でカリカリ見つけたんだよ。すみの方にそっと置かれててな」 「……神輿庫で?」  謝るタイミングをくじかれて、どうしようと思いつつも、おっさんが取り出した袋を受け取った。白いビニル袋に入れられた茶色の1センチ四方に満たないものは、慧が今見つけたものと同じものに見えた。 「ほら、見てみろ」  おっさんがスマホの画面を慧に向けた。そこには、色あせ汚れた薄茶色の木の床の上に、ばらばらとカリカリが散らばっている写真が表示されていた。 「道具とか白い布で覆われててな、その布で見えない場所に置いてあった。しかも一箇所じゃない」 「でもここって普段、締め切られててオレみたいな普通の人は入れないっすよね……」  まさか、と思う。 「で、でも神社の人がごんごろをさらう意味はないよね?」  パッと浮かんだ顔を疑うこともできなくて、慌ててそう言うとおっさんは大きくうなずいた。 「まあそうだな。黙ってさらう必要性がまずない。ごんごろに悪意をもってない限り、つまりごんごろをこの神社から排除したいとでも思ってない限りはな。宮司の吉水さんにしても、真純さんや未涼さんにしても、そういう感じはないし、まずごんごろを排除したい意味がわからない。ごんごろのおかげで神社には参拝客が増えて、大事な収入にもつながるお守りだのお賽銭だのにつながってんだ。それを自分たちで減らしたいと思うわけがねえな」 「でも神輿庫なんてほかに入れる人いたっけ?」  権五郎神社に務める人以外、誰が神輿庫に入れるだろう。まさか鍵を盗んでわざわざ入ったのか。それとも入れる場所があるのか。  それを問いかけると、おっさんはどれも否定した。 「いるんだよ」  おっさんがゆっくりとそう言ってから。 「氏子だ」  あ、と声がもれた。 「しかも、直近でこの神輿庫を使う人たち。つまり、9月18日の例大祭の関係者で、特に神輿庫に用があっても不思議はない人たちだ」 「それは……」  氏子といっても、中川さんを筆頭に何人もいるはずだ。その中にごんごろをさらった犯人がいるというのだろうか。 「氏子なら必要があって神輿庫に入らせてもらうことも機会としては多いだろう……まあ、あくまで可能性の話だがな」  落ちた沈黙の重さを吹き飛ばすようにおっさんが大きな声でそう言った。 「で、慧。なんかさっき見つけたとかなんとか言ってなかったか?」 「あ、カリカリの残骸みたいなのがそこにあったよ。たぶん神輿庫のものと同じものだと思う」 「どれ、見せてみろ」  おっさんに請われるままに案内した。それを見て、おっさんはカリカリをいくつか手にとると匂いをかいだ。そしてふいにそのうちの1個を口にもっていった。 「ちょ、おっさん、それ」  驚いて止める間もなく、そのままちょっとカリカリを舐めた。それからすぐにツバを少し吐いて口を拭った。 「ああ、やっぱ同じメーカだな」 「マジか……」  この人、外に数日放られたままのカリカリを舐めた。 「だ、大丈夫なんすか……そんなの舐めて」 「さあな。でも食ったわけじゃねえし、まあ気分悪くなったとしても大事には至らんだろ。でもまあこれで、神輿庫の中と外と、神社の職員たちが知らない間にえさを食う機会があったってことだ」  平然とそういうと、おっさんはそのカリカリが散らばっている様子をスマホで何枚も撮影した。  その姿を見ながら、御園生さんがおっさんのことをああいうふうに言っていた意味を思い出していた。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加