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「親父さんはな、食ってる最中に声を出されんのが一番キライなんだ」
改めてごちそうになった礼を言うと、おっさんはなぜか外でも声をひそめながら歩き出した。
「でも、すごくうまかったです。ずっと近くに住んできたのに、全然知らなかった」
「まあ店構えにまずビビるからな。で、入れば、今度は親父が怖いときた。人によっちゃそれに気悪くしてよくない評価もつけてんだろ、だから地元の常連以外はほとんどいねえな」
「でも接客とか店構えとか、まあ二の次じゃないですか。なんかもう、ちょっとショックだったくらい」
「オレも初めて食った時は衝撃だった」
うなずいて、背中のリュックの中に入れたチャーハンを思った。正直楽しみしかない。
店に入る前は、柿澤たちのことを思い出してまたイライラしていたというのに、そんな気分なんてはじめからなかったみたいだった。
おっさんが大きく伸びをしてそれから慧を見た。
「さっきの、カーストトップの男のことだけどな」
「ああ……」
半分どうでもよくなっていた。それくらいにラーメンのうまさのほうがオレの人生にとっての衝撃だった。
「悔しいんだろうよ」
「悔しい? なんで?」
「そいつはカーストトップなんだろ? でもって、そいつの世界は学校ばっかなんじゃねえのか? その好きだっていう女子のことも含めて。せまーい世界だよなあ……。だからほかの奴らにもそういう世界で完結していてほしいんだろ。自分の目が行き届く範囲で自分と同じように」
「なにそれ。意味わかんないけど」
「まあ学校だからな。1つの村みたいなもんだ」
「村……」
さしずめ柿澤村長ってとこか。そう言われるとなんだかわかる気がした。
「お前がその枠組みにはまってくんないからいろいろ目の敵にでもされてんじゃないか? お前、協調性皆無って感じだからな」
「別に協力が必要な時はちゃんとしてる」
でもわざわざ誰かに媚びへつらってまで、なにかを一緒にやるということに意義を見出せない。
「でも最低限だろ」
頭の中を読まれたようにドキッとした。
「別にそれが悪いとは思わねえよ。人それぞれだからな。ただお前を殴った連中はそうじゃないってだけで。それにお前、別にやりあったからって、じゃあ明日からそいつらにへこへこするわけじゃねえんだろ?」
「なんでオレがそんなことしなきゃなんないの」
「ほらみろ。そういうとこが連中にとっちゃおもしろくねえんだよ。それ変える気ないなら、まあこの先のバラ色な学校生活なんざ諦めるんだな」
バラ色の学校生活。そう言われてもいまいちぴんとこない。
「別に平和ならそれで十分なんだけど」
「はああ? それで男子高校生名乗ってんのか!?」
別に名乗ってはいない。
「彼女がほしいとか、イチャコラしたいとか、どっかデートしたいとか、手つなぎたいとか、そんでほらその、なんだ、その先のそういう諸々をだよ、したいって思うだろ! そういうのはねえのか!?」
おっさんが驚いたように声を張り上げた。近所迷惑になるから夜の道で大声を出さないでほしい。
「それ、全部女がらみじゃん……。バラ色って、そういうことばっかなわけ?」
「そういうこと以外に何がある」
おっさんはためらいもなく言い切った。
もう、本当にぶれないな、この人。
小学校が見えてきた。おっさんは「もうすぐそこだ」と言ってその奥の細い路地を曲がった。小さな車がようやく入れるくらいの道だ。
「あれが野狐よ」
誇らしげにおっさんが鼻を鳴らした。
促されて見ると、そこには平屋建ての木造家屋が荒れ放題と言いたくなるような雑草や樹木の鬱蒼とした中に建っていた。灯りがついているのは、店だからだろうか。
おっさんは横に見えている格子組の玄関の方へは向かわずに縁側の方へ回っていく。灯りに吸い寄せられるように近づきかけて、足を止めた。
看板もない、単なる民家。いや民家というより、廃屋に近い雰囲気だ。
夜のせいか、家の灯りに照らされた庭先は今にもなにか得体のしれないものが出てきそうな気配さえ漂っている。なにせ勢いよく自由に伸びまくっている木々や草の間には、傾きかけた壁のない納屋が建っており、その下には慧には用途など想像もつかないものばかりが影のごとく乱立している。
時代劇で見るような大きな焼き物の青い火鉢、明治か大正くらいのさびが出てきている何枚ものレトロな看板、江戸時代から使われていたらしいお米を選別する唐箕、竹で編まれた円筒形の長細いジャカゴ、昔話で見たようなご飯を炊くお釜。とても見きれない。なかには、屋根がないところに放置され、風雨にさらされてきたのかだいぶ傷んでるような木の桶などもあった。
正直、草木とその古い道具や家具やなんやで、足の踏み場もない。
おっさんは縁側のガラス窓を引き開けると、靴を脱ぎ捨て中に入った。
おそるおそる物を避けながら縁側へとたどりついた。
テラスのようになっている縁側は、広い縁台が置かれて座布団も何枚か敷かれている。室内に入っていいものか悩んで立ち尽くしてると、中から声が聞こえてきた。
「お、寝てんのか。いい、いい、まだ寝てろ。ママが来たら起こしてやっから」
誰かに声をかけているらしい。
おっさん以外にも一緒に住んでいる人がいるのか。まさか彼女や奥さん。そう思いかけて、ないないと打ち消した。
でも同居人がいるなら、迷惑じゃないんだろうか。
ためらっていると、今度は外に向かって言っているとわかるおっさんの声がした。
「慧、そっから入ってきてくれ」
スニーカーを脱いで縁台にあがり、開け放たれたガラスの掃き出し窓の中に足を踏み入れた。
部屋は畳敷きの和室だ。入った瞬間、かび臭さとお香が入り混じったような匂いがして、空気は乾燥していた。
そして家の中は、壁に沿って外以上に雑多ないろんなものが置いてある。
薬箪笥などの昔の和家具、何本もの筒状に巻かれた掛け軸は床の間の床を埋めるほど立てかけられ、天井からはランプや琥珀色に変色したまるかさい笠のシンプルな電灯やカンテラ、なぜか竿秤。壁には柱時計や磁石式電話機、わらじや半纏、きれいな柄の着物がかかっている。畳の上に置かれた低く細長いテーブルには真空管ラジオや大きな振り子が止まったままの置き時計、重そうに鈍色に光るアイロン。
まるで古い道具をおもちゃ箱からひっくり返したような有様だ。
「適当に座っとけ。今風呂の準備してくっから。あとそこらのもん全部いちおう商品だから、あんまべたべた触んなよ」
なんとなく見回しているとおっさんがそう言ってふすまの向こうの廊下へと姿を消した。廊下にもいろんな道具や家具が置いてあるようだ。
雑然とはしているけれど、なぜか居心地は悪くない。よく見ると古道具のほとんどがホコリも被らず、ちゃんと手入れされているらしい。丁寧に扱われているのだ。
見た目の印象からはあまりわからないけど、ピアノが弾けるらしいことといい、意外に繊細なのかもしれない。
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