5章 不穏な影と、忘れていた記憶

1/6
前へ
/48ページ
次へ

5章 不穏な影と、忘れていた記憶

 権五郎神社に現れた仙人、こと中川のじいさんの顔は険しかった。前もって話を聞いていたんだろう。この前じいちゃんと口喧嘩していた時の雰囲気はあくまで言葉だけの遊びだったのだとわかる。それくらいに、今そこに立つ姿からは怒りさえ感じられた。 「蓮次郎さん、お呼びだてして申し訳ない」 「いや、野狐の。ごんごろを連れ去ったのがわしらのうちにいるとなれば、ただじゃすまん。マスコミだって騒ぎはじめておるところで、氏子の中に犯人がいるなど、」  そこで中川のじいさんは言葉を途切らせ、おっさんから視線をそらした。 「でも、可能性の話でしょう?」  宮司の吉水さんが慌てて場を取りつくろうように言った。真純さんと未涼さんも眉根を寄せたような、信じられないという面持ちで立っている。  みんなの視線を浴びて、でもおっさんは動じていなかった。 「まあ、そう思われるのも無理はないんですが。でも氏子の中にごんごろをさらった人間がいる、というのはほぼ確信しています。ただその氏子の中の誰が、というのまではわからない。それを確認するためには、蓮次郎さんの力が必要です」 「……氏子の中に犯人がいるとして、なぜそう言い切れる?」 「今わかっていることを、お話しながら整理させていただいてもよろしいですか?」  中川のじいさんがうなずいた。 「まず17日、例大祭の前日ですが、その深夜に江ノ電の職員が境内に何度も出入りする不審人物を確認しています。何かを運びこんでいたらしいと言っていました。それは、防犯カメラを確認させてもらって、映像の端の方にちらちらと映る人物がいることで裏付けもとっています。ですね、吉水さん」 「ええ、はい」 「問題は、この神社の防犯カメラは性能があまり高くない。しかもその不審人物は、カメラの死角を選んでいる節がありました。それだけじゃありません。防犯カメラの1台は、向きを変えられていた」 「え!」  思わず驚いた声を出したのは慧だけじゃなかった。吉水さんは知っていたんだろう、小さくため息をついた。 「ですね?」  おっさんが吉水さんを見た。 「そうですね、最初確認した時は気づかなかったんです。うちの神社には5台、防犯カメラが設置してあります。拝殿側から鳥居の方角を映す1台、社務所の玄関と窓口を映す1台、鳥居の方から拝殿を写す1台、宝物庫を写す1台、焼却炉の方から神輿庫を映す1台です。支倉さんとご一緒にカメラの映像を改めて確認した時、なんとなく変だな、と思ってはいたんです。でも映像に映りこむ人物の方に気をとられてそこまで気にしなかったんですね。でも後になってやっぱり、と思って、確認したら、カメラが映す向きが違うんじゃないか、と」 「どういうことかね?」 「本当にたいした角度じゃないんですが、拝殿側から鳥居の方角を映すと、ほとんど境内に出入りする人間は網羅できるんです。顔までは難しいですが、不審人物の全身、男女の別くらいは捉えられる。でも映像には端の方にしか映っていなかった。  そこでセキュリティの会社に確認をとったら、当初、設置した時より変わってると。そのせいで、鳥居の内側を避けて外まわりに境内に入れば、端の方には映るかもしれないけれど、全身まで詳細には映れなくなっていたようなんです。防犯カメラは、何かがぶつかって角度が変わることも考えられなくはないけれど、それは相当の力によるそうです。鳥がぶつかったとか、そのくらいじゃ向きは変わらないと設置した会社の方は言っていました。ならば、誰かが故意に、防犯カメラのレンズの角度を変えたんじゃないかと……」 「防犯カメラはほかにもあります。でもそれに写りこまないように、その人物は巧妙に避けているんです。ということは、防犯カメラの設置されている位置、そしてそのレンズの向きを把握している、という人間です」 「氏子じゃなくても、それは調べればわかることでもあろう」 「そうですね」  おっさんは中川のじいさんの言葉にうなずいて、それから作務衣の懐に手を入れて、おもむろに何かを取り出した。そしてビニル袋からなにかを手のひらの上に落とした。 「これはなんでしょう、未涼さん」  おっさんは手のひらに乗せたものを未涼さんに向けた。 「あー、カリカリですねー!」 「そうです。猫のえさです。しかもこのメーカーの。たぶんごんごろが好きなカリカリじゃないですかね? 猫って意外に好き嫌いが激しいと猫好きの知り合いに聞いたんですがね」  猫好きの知り合いとなると、藪野さんだろうか。  おっさんはさらにがさがさと折りたたんでいたらしい箱をとりだした。かわいい白猫がグラスに盛られたカリカリとともに写るパッケージはたまにテレビのコマーシャルで流れているものだ。 「それ……!」  未涼さんが驚いた顔で真純さんを見た。真純さんも驚いている。 「ごんごろが大好きなシリーズのカリカリですー! 普段は安いカリカリしかあげられないんだけど、たまにはごちそうをと思って、特別な時にだけあげてるカリカリなんです」 「猫のフードにもランクがあるんですよね。その特別なカリカリは、プレミアムフードといって、お高いものなんです。その分おいしいのか、ごんごろの食いつきが半端なくて。とにかく食いしん坊だから、そのカリカリになると、もう、減りが全然違います」  真純さんが補足するように言い、未涼さんが何度も強くうなずいた。 「いろんな観光客があげるものだから、だいぶグルメになってしまって」  苦笑する真純さんに未涼さんは「ほんと、あたしよりグルメなんだよねー」と言った。 「でも、これが大好きだって、どの程度の方が知っているんですかね?」  おっさんがそう聞くと、2人は顔を見合わせた。 「そうですね……。ごんごろ目当てに参拝に来られる方は知ってるかもしれませんが、ほとんどの方は知らないと思います。カリカリは基本的に社務所の中でしかあげていませんし、普段からごんごろの動向に目を見張れるような近い方でなければ……」  そう言いながら真純さんの声が弱くなった。 「……野狐さんが、どうしてそのカリカリがごんごろの好きなものだとわかったんでしょう?」  真純さんが少し悲しそうにおっさんの方を見た。 「それは見つけた場所にヒントがあります」 「……場所」  そう言って真純さんは視線を地面に落とした。  おそらく予想がついたんだろう。肩を落とした雰囲気に宮司の吉水さんが心配そうに真純さんや未涼さんを見た。 「どういうことー? っていうかどこー?」  未涼さんが首をかしげた。 「未涼ちゃん、この前、野狐さんと慧くんが境内をいろいろ探していたでしょう? その時にどこを探したか覚えてない?」 「……あ!」と未涼さんが手をぽんと叩いた。 「アジサイの小径と、神輿庫!」  それを聞いた宮司の吉水さんが小さく呻いた。でも中川のじいさんはおっさんを見たまま黙っている。おっさんは改めて中川のじいさんを見た。 「蓮次郎さん。オレと慧がこのカリカリを見つけたのは、神輿庫とアジサイの小径でなんです」 「だからなんだという」 「アジサイの小径だけに置いてあったら、まあ観光客でも誰でも、この神社に訪れる人にはこのカリカリをあげるチャンスが等しくあります。でも、神輿庫はそうじゃない。神輿庫に入れるのは、神社にお勤めの方。それから……氏子さんだそうですね」 「……開いてる隙を狙って入りこんだだけかもしらん」 「ええ、その可能性は否定できません。ですが、いつ誰が開けるかなんて不確定要素のために、四六時中神輿庫が開くのを見張ってるわけにはいきません。それに蓮次郎さん」  中川のじいさんは白いひげで見えない唇を強く引き結んでいるようだった。 「神輿庫は、ごんごろの寝床の一つだそうです。でもそんな細かいことまで知っているのは、やっぱり観光客ではありえない。ごんごろを身近で知る人たち、ごんごろを身近で見ていられる人たちでしかないんですよ」 「……それで、氏子連中の誰か、ということかね」  おっさんがうなずいた。  中川のじいさんがふう、と大きくため息をついて、天を仰ぐようにした。 「蓮次郎さん。氏子の皆さんを疑うようで申し訳ない。もちろん氏子の皆さんの中にいると決めつけたくは、オレもありません。だからこそ、話を聞かせていただきたい。ごんごろの行方のことで、情報を集めている、という体でかまわない。その中にひっかかるような人物がいなければ、それまでです。でもそうじゃない人物がいたら……あとはオレと慧とでなんとかします」  学校があるにもかかわらず、慧を頭数にいれてくれていることにほんの少し胸の奥がじわりとあたたかくなった。 「……氏子といってもかなりいる。それを全員集めろというのは難しい」 「ええ、全員ではかなり時間がかかります。その中から絞れると思うんですね。まずは神輿庫に出入りできる、というより、神輿庫に出入りして違和感のない氏子さんという範囲で考えています」 「神輿庫……」 「ちょうど、18日の面掛行列がある例大祭には神輿が繰り出しますよね? しかも12日には神輿に神様の御霊を遷される儀式があるとか」 「神輿御霊還しの儀がある。景政様に本殿から神輿に遷っていただく必要がある」 「はい。そして前日の17日にも神輿を使われる宵宮祭があるとか」 「18日の例大祭に向けて、いろいろ儀式がある。一般の人に公開されんものもあるのでな。神輿庫の出入りや開け閉めも普段よりは多い」  半ばあきらめたような口調で中川のじいさんが静かに言った。 「蓮次郎さん」 「……野狐の。約束してくれないか」  中川のじいさんの声は、それまでと違って少しさみしげな弱さを伴っていた。 「例え、氏子の中に犯人がいたとしても、その犯人をマスコミの前に晒すような真似だけはしないでくれないかね」  宮司の吉水さんや真純さんたちがハッとしたように中川のじいさんを見た。 「いまや、マスコミがだいぶ権五郎神社の看板猫誘拐事件としておもしろおかしく騒ぎはじめていてな。取材を断っていても、なんだかんだ地元の人間にマイク突きつけ、勝手な憶測が飛び交いはじめておる。ネット上はもっと言いたい放題になっておるらしい。その対応にも苦慮しているところよ。  そんなタイミングで氏子の一人がまさにその人物だったなんてことになったら、この小さな町はもうてんやわんやになる。それに、氏子たちに、そんなたいそうなことをするような人物がいるとはどうしても思えんのだ。みんな権五郎神社が大切で、ごんごろがかわいいと思うような人間ばかりよ。もちろん猫が苦手なもんもおろう。それでも氏子っていうのは昔から世襲のようなものだからな、結束の力は強い。その力で神社さんと2人3脚でやってきている。だからこそ面掛行列も滞りなく、途絶することなく伝わってきた。そんな中に、……あのごんごろを連れ去るもんがいるとは、思いたくない」  わずかに震える悲壮な声に、言葉が出るはずもなかった。 「……蓮次郎さん。もし本当に氏子さんたちの中にごんごろを連れ去った人物がいたなら、その時は先に蓮次郎さんにお伝えします。そして、どうするか、考えましょう」 「……すまないの」  中川のじいさんが深く頭を下げた。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加